新しい世界の物語 〜聖なる豊かさ〜

新しい地球での生き方を綴っていきます

アリマタヤのヨセフ  リーディング・ストーリー  その1

まだ子供たちが幼かった頃、私はちょうどクリスマスの日に家族で旅行を計画しました。

今から20年くらい前のことです。

そして、その旅行のもう一つの目的は名古屋にいる憧れの女性ヒーラーにオーラソーマ・リーディングをしてもらうことでした。

その時、私が選んだボトルは透明色とピンクからなる『エッセネボトル』(花の鎖 B11)でした。

エッセネ派とは紀元前2世紀から紀元前1世紀にかけて存在したユダヤ教の一派のことです。)

そして誕生日ボトルを割り出してもらうとイエローとグリーンの『ゲッセマネの園』(B7)でした。

クリスマスの日、どちらもイエス・キリストにまつわる名前と思ったので、

「なんだかどちらも、イエスキリストに関係する名前のボトルみたい。」とつぶやいた私。

「ええ、そうですよ。だからクリスマスの日にいらしたのでしょう?」と不思議なことを仰るYさん。

思い返すと、その時来ていた服も大きなチェック柄の真っ赤なシャツでした。(赤はキリストのカラー)

その時、いくつかの過去世をリーディングしてもらいましたが、それらの偶然の一致のせいでしょうか。

私はイエス・キリストの時代を生きていたことがあるそうで、しかも弟子の1人だったと言うのです。

さらにはイエス・キリストが最後の晩餐のあと、自身の過酷な運命を予知して苦しみ神に祈っていた『ゲッセマネの園』でも一緒にいたと言うのです。

いくらYさんが仰るにしても、ボトルが一致しているだけでそんな調子のいい話、あるわけがないと思いました。

そのリーディングと私の頭の知識が合わなかったためなのかもしれません。

私は禅宗のお寺が実家だし、神社が家の隣だったので神社にもなじみが深いのですが、キリスト教にもどこか縁を感じるものはありました。

子供の時から宗教と言うものに関心が深くて、父親がおそらく私が本に関心をもつように用意していたのでしょう。

世界の歴史やおとぎ話を一同に集めた、やたら分厚い本の中に、様々な宗教の教祖の物語も含まれていました。

子供向けの本ながら、旧約聖書やキリストの物語もいくつも含まれていて、私はそれらを何度も何度も飽きることなく繰り返し読んでいました。

そして、言われてみれば、確かにあの時代にいたと言うのはそうかもしれないという感覚はある・・。

でも、弟子の1人だったと言われると当時私は弟子と言うのは12使徒しか知らなかったので、それがピンと来なかったのです。

まして、ゲッセマネの園で師であるイエスがローマ兵につかまって連れ去られていく場面で、恐れや哀しみにおののく弟子たち、
そんな自分の姿も想像できませんでした。

私の感覚では確かにあの時代にいたかもしれないけど、それは、この地球の壮大な歴史の重大なストーりーを観察するかのような何かであった気がして、それでちょっぴり腑に落ちず。

そして、それ以上、ヒーラーYさんも詳しいことは言及しませんでした。

今なら彼女のリーディングが素晴らしかったこと、完全に合っていたのがわかります。

その後しばらく私は、一体どの弟子だったんだろう?トマスだった?それともペテロ?なんてこととか、

果たしてほんとにそうだったのか?なんてことをれこれ考えてしまったものです。

結局、いつしかこのリーディングもすっかり忘れてしまいます。。。


思い返せば、輝いている素敵な人として、とても憧れていたYさんのリーディングですら、半信半疑で疑っていた私でした。

でも、不思議なシンクロも重なり、妙に説得力があったのも確かでした。


私もいつか人様をリーディングできるようになって、気づきと解放で楽にできたらと思うきっかけを下さった方のお一人でした。
いつしか色んな時を経て、私自身がスピリチュアル・セラピストになっていました。

そして、リーディングが他の人に向くようになると、そこで出てくる色んな物語を目のあたりにするのに満足してしまい、幼いころから抱いてきた、自分が何者であるかという問いさえすっかり忘れかけていました。

そして、いつしか人生に足止めをくらうような時期を迎え、意識が内側に向くようになって、ようやく人生の序章にしか過ぎなかった、あの頃を思い出し、メッセージと一致する謎解きができてきたのです。

それが、イエスキリストの隠れた弟子と言われるアリマタヤのヨセフのことでした。

彼にまつわる重要なメッセージはその旅でもう一人のヒーラーにも言及されています。

「あなたの宇宙名は聖杯よ。」と。

ここからは私のリーディングによるアリマタヤのヨセフというキリスト教の聖人の1人の物語です。

私の感覚から出てきたことを書き綴るので、かなり奇想天外であったりするかもしれないし、ここにはなんら歴史的根拠はありません。

キリスト教信奉者の方々が気分を害さないよう、おとぎ話と受け取って頂ければと思っています。


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アリマタヤのヨセフは物心がつく頃から新しい世界を求めていた。

彼が求めるその世界は、誰もが心の良心に従って生きており、正直な気持ちをそのまま表せる世界。

そして、何物にも代えがたいほど、その世界の住人は奥から溢れる真の喜びというものに満たされており、その喜びの感覚のもと、誰もが幸福に生きている。

彼がその世界を求めるのは生来の心の持ち癖だったが、それがいつかこの世界にかなう為にはまずはあ自分自身が生涯、自身の偽らざる心に正直に生きることだと感覚的に知っており、それを実行して生きた。

ただ、彼はどれほど自身の心に正直に生きたとしても、人としての道を踏み外すことなどなく、ただ自身の良心に忠実に生きるといったことの表現だった。


周囲からみれば、時折、夢見がちな目をしてボーっとした様子をみせる不思議なところはあるが、おとなしくて落ち着いた子供であったし、彼の両親は裕福で土地の有力者でもあった。


とはいえ、ユダヤの人々の古来からの土地すでに他民族の侵略にあってきたし、今はローマの監視下におかれている。

ヨセフの父はローマの指揮下にある、ユダヤの評議会の一員で、そこで決まったことを地元の人たちに伝えたり、法以上に重要視されてきた、ユダヤ人としての教えをとりしきるユダヤ教の長老会とも通じる立場だった。

だから、近所の人々は彼に少しばかり風変りなところがあろうと、それを問題にしたり悪く言うものはいなかった。


世間ではローマの圧政に苦労が絶えない暮らしが主流で、人々は自分たちの暮らしを救ってくれる予言の人、救世主の現れを待ち望んでいた。

しかし、ヨセフはそんな世の中の空気とは相反するように、純粋培養のような、ちょっとした世間知らずのお坊ちゃん育ちではなかったかと思う。

彼は1本の花やそこに止まる一匹の虫にも深い生命の意味があると感嘆して、その生命のありかを見つけようとするようなところがあった。

その生命の元がどこからやってくるのか、そしてどこに宿っていて、またどこの還っていくのか考える性質の持ち主だった。

ヨセフは青年期に至るまで大きな障害や苦労を知らず、ユダヤの教えを学び、自身も父の仕事を受け継ぐための準備をしつつも、心の奥の求めにあらがえないでいた。

彼が真に求めてやまないのは、生と死にまつわる教えであり、たとえこの世に沢山の生と死が繰り返されても決して変わることのない永遠の教えであった。

あヨセフは青年になると自分は人とは何かが違っていることや、世の中の人たちとずれている部分を補うためにはもっと他の人たちと通じ合う必要があると感じていた。

彼の境遇は恵まれていたれど、その分多くの世の人々との間には垣根があって彼らの生活事情にも疎かったし、それまであまり関心もなかった。

いつも空想の中に意識を投じていたし、それ以外にはユダヤの伝統的なしきたりの世界への準備を重ねる日々。

同じ年頃で本音を言い合える友人や仲間などはいないに等しかったのだ。

唯一、使用人で家族に尽くしてくれる一家の息子とは年も近く、幼いころから親しくしてきた。

そこである時、思い切って彼に打ち明けたのだった。

ユダヤ人の階級社会は全く息が詰まるよ。上の人たちは厳格で、彼らとの会話では本心からの言葉が言えないんだ。もっと普通の人たちと気兼ねない話がしたいんだよ。」

するとその青年は言った。

「今、この国の大人たちはみんな本音で語り合うのを諦めているよ。この難しい世俗を生き抜くためだよ。ただ、ぼくには唯一本当の気持ちが話せる特別な仲間たちがいるんだ。素晴らしい人たちだから、きみも会ってみるかい?」

そして、ある時、ヨセフはその知人を通じて不思議な雰囲気をたたえた人たちに出会った。

年はかなり上だと思う、その人たちは質素な身なりに、あまり多くを食べていないだろう、やせ気味の体、そこは他のユダヤ人と変わらない。

彼らが浮かべる表情は苦汁を含んだような他の人々のものと違い、静かに微笑み、、内側の温かさを現していたし、慌ただしく追われるように常に動いている人々とは違い、じっと椅子に座って自分に穏やかなまなざしを向けていた。

そして、そのまなざしは安らぎに満ちているようだった。

彼は、この人たちが何か特別な秘密の魔法をもっているのなら、自分もそれを知りたいと思うほどに強く惹きつけられたのだった。