新しい世界の物語 〜聖なる豊かさ〜

新しい地球での生き方を綴っていきます

縄文オババ神の物語

これは私のリーディングです。細かいことは気にしないB型で、かなり大雑把なストーリーに仕上がって
おります。創作も入っているでしょう。
仮に東三河の霊山、石巻山やその周辺に関する昔話とでもしておきましょうか。
ホントのことだかどうだか、なんてことより想像上のお話だと思って読んでみて下さい。
 
 
縄文の始まりの時・・九州は北の方面から南に向かう何人かの人達がいた。
正確に言えば、人、というよりはもっと異形のもの、人の姿はしているものの、中身はまるで異星人なのだ。
存在達は龍神族、龍族とでもいうべき、半精霊半人間の存在だった。
西洋の水の精霊ウンディーヌ、時に人魚とも呼ばれる存在とも同じ血筋の存在だった。
それはその時代を遥か遡る、古に沈んだ大陸レムリアのエネルギーを受け継ぐ者たちで、
時に水の精霊やマーメイドとして水の中を住まいとしたもの、特性上、海や水辺を好んだものの、
精霊というより人という存在として生きることを選んだもの達もいた。
ムーに移り住んだものもいたし、その一部は東洋の南の島々や、日本という
東のはずれの国々の南や海沿いの土地に移り住み、独自の文化をなし、土地の人々と混じり合い、
平和な人としての暮らしを営んむことを選んだものもいた。
日本は北九州あたりに上陸した彼らは事情があり、北上した。
それは土着の普通の人々にはこの種族の異形やパワーを怪しんだり、嫌ったり、様々な悪感情を
もつこともあったし、彼らは集団で住むには目立ちすぎた。
人々は彼らの使うサイキックなパワー(純粋な存在ならだれでも持っている力です)
をねたむものもあったし、権力的で支配的な一団の流れが、その存在を恐れ、その者達をとらえたり、
命を狙ったりする動きがあった。
それでも人間に混じり合うよう、同じ仲間でこじんまりとした集落を作ったもの達もいれば、
さらに北上し、新たな居場所を探しに出かけた存在達もいた。
 
それがオババであり、その伴侶のオジジ、また何人かの仲間で、彼らは日本のそここに移りすみながら、
更に北上し、それぞれの安住の地を見つけて別れて行った。
オババとオジジがようやく辿りついた理想の住まいとして、居を構えたのが石巻山麓だった。
 
ここは超古代に造られた宇宙的なパワーが介入したピラミッドだ・・と、
サイキックなオババ達は聖なる場所を守り、古代の叡智を伝えるのが
自分たちの役目と感じていた。
 
そしてオババはオジジとこの場所で暮らし始め、土着の村人達とも仲良くなった。
村人達は突然現れた奇妙な2人が不思議な魔法で人々の病気や怪我、けがれを祓い、雨乞いをすれば
たちまち分身である龍神を遣い、雨を降らしたりする。
人々は彼らを神か、神の特別な使いだと受取り敬った。
2人を丁重にもてなし、捧げものをし、癒しやアドバイスを乞い、農作物などに関する神意を尋ねたりした。
 
オババ達が伝えた重要なものは古代の叡智、エネルギーで、それは初め、素直な心をもつ優れた村人達
に伝えられた。
やがて、その心地よい、目覚めのエネルギーで魔法が使えるようになった者たちをみて、村人の多くが
オババ達の住む山の中腹まで足を運び、その伝授、イニシエーションを乞い求めた。
そしてオババ達は多くのものを集め、そのエネルギーを送った。 
それはワンネスというレムリアの叡智のエネルギーでそのパワーを与えられた年寄りから幼い子供まで
村人は無邪気な穏やかな心になり、諍いもなくなり、直接の内なる神と繋がった。
村は平和で仲良く、そして作物もよくとれ、豊かに、幸せになった。
 
ある子供はオババの龍に乗って空を飛ぶことも楽しんだ。それはオババとその子の秘密だった。
いつも一人でオババに会いにいき、オババも実の孫みたいにその子を可愛がった。
オババの姿はまるで、アニメ鬼太郎の砂かけ婆のようだったので、その恐ろしげな風貌を恐れて
遠巻きにみている子が多かったにもかかわらず。
 
オババとオジジには子供はいなかった。遠い昔に巣立っていったし、2人の年齢は何百歳、
三百は優に越えていた。
 
さて、そんな2人を訪ねてきたものは東のやや遠く離れた村からの使いだった。
使いはこちらの村にどうか、お住まいを移して来てほしい、素晴らしい神殿も建てさせております、と。
 この2人の神のような存在によって平和に幸せに暮らすようになった、この村の噂をきき、
問題を抱える自分たちの場所も同じように変えてほしいと願う東の村人達の意見がまとまったのだった。
使いのものに、なんとか説き伏せておつれせよ、と命じた。
 
そこはどんな場所か、すぐとわかった・・そこも古代に重要なエネルギースポットであった場所、
そこを守り、よい場所にかえてゆくことも大切な役割だと悟った。
 
オジジは住み慣れた場所をオババにまかせ、自分がその村に住まいを移す、そうすれば
両方の村がうまく繁栄するだろうと言った。
オババとも会いたいと思えば会えない距離ではない。
 
オババはオジジが移った後、気が抜けたように寂しくなった。
2人はツインソウルで、離れ離れになるなど、考えられない一心同体だった。
この寂しさがオババの力を弱めたかもしれなかった。
ある大きな変化の出来事を予知できていなかったのではないか・・・
 
オジジに会う為に、オババは時折オジジのいる村へ遠出した。
何人かの村人がそのオババを護衛して出かけた。
 
村人に内緒ででかけることもあった。
オジジも来ることはあったが、それはめったになく、オジジは忙しい。
この村は大きくてあちこちに広がり、いくつか集落に別れ、時折もめ事が起こり、そのさらに向こうには
また違う部族(といっても同じ人間だ)もいるから、守護のため、おちおち抜けられない。
オジジはそう、忙しかった。
立派な神殿の中のオジジを訪ねてくるものは後を立たなかった。
 
ある日お忍びでオババはオジジのところへ出かけた。
会いたかったことは何よりだが、何より胸がざわつくことがあったからだ。
 
何人かの自分の村人達と、ざわつく心を抑えつつ、急ぎ向かうとオジジの村に近づいた時、
目にしたものは大きな異変だった。
オジジの村のあちこちに家々がごうごうと燃え、一面火の海になっていた。
 
それは南からきた、勢力によるもの。
彼らは兵力と、武器とで至るところを支配におさめ、そして古の生き残り達=神と呼ばれるものを
服従させ、捉え、無きものにし、神とは自分達だと主張した。そしてどこまでも勢力を広げていった。
 
その時オババはオジジに会うことは叶わなかった、もう、オジジは死んでいることを感じていた・・
村人に止められ、諭され、泣く泣く村に戻った・・
そして容赦なく、追手の気配は平和な村にもやってきた・・
彼らはオババのような存在を狙っているのだ。。
オババのせいで村人たちの平安な暮らしが崩されてしまうだろう。
 
それを予見したオババや、人でありながらオババのように開いた意識をもつ
オババの護衛のメンバーたちは村長にオババと村を出ることを伝えた。
 
オババは村長に言い残した。
「これからこの地方には厳しい日々が待ち受けておろう、しかし私がいると、村はもっと大変なことになる。
だから、ワシはこの者達と出てゆくが、いつかの未来、世直しの時がやってくる。
その時にまた再会し、いつかのこの時代を癒し、みなで永久の幸せを作っていこう。
私はその時代が来たら、合図ののろしと、癒しの光の柱をこの地に建てようぞ、この者達とともに。
そして、それまでわしの一部である、龍を守護の役としておいてゆく。
その子は白蛇や龍となって聖なる場所のワシの記憶や痕跡を守り、その奥にある古代の重要なエネルギーを
守ってゆくだろう。どうかその場所は大切に、守るよう、そして子孫に伝えて頂きたい。
 
村長もわかっていた、未来を読み取る叡智はすでに身についていたのだ。
すぐ先の未来も、そしてさらにもっともっと遠くの未来に起こるだろう出来事も。
 
そして、他に方法がなかった。・・他の村人たちはここにとどまるしかなかった。
オババ達が去った後、すぐに村を襲った勢力がもたらし、そこで受けた辛酸は、彼らの心を変えていった。
言い争いやいがみあう心がうまれ、村を2分していった。
やがて誰もが村を出て行ったオババ達をどこかで怨みつつ、いつか、還ってくることを乞い願いうように
なった。そして、その場所は聖なる場所として、禁足地にされ、後の世の知らないものが踏み入ると
オババの一部であり、水の精霊である龍が大きな白蛇となって人々を脅かして
そこを必死に守り、忠実に役目を果たした。それを、そこを守る神か、神の使いと考えた後の人々は
そこに小さな祠をたてて祀るようになった。
 
オババ達はあちこちで、不思議な施しをしながら北上し、安住の地を探した。
そこここで、神とあがめられたりもした。
場所を清め、その土地の人々にその聖なる場所を守るよう伝えたりもした。
村人達は神が何かもわからない、そしてその不思議な人を神と思い、聖なる場所に祀った。
 
そして塩尻だか、松本だか、水の流れる気持ちの良い場所にたどり着く。
こに住むことにしたものもいたが、
そこからオババと残りのメンバーは日本海近くを通り、しかし、そこも土着の民がおり、
安住の地ではなかった。
 
宮城石巻を経て、そこにも気に入り長く住んだが(同じ名前をつけた?)
やがてさらに北に向かい青森の南に位置する湖のほとりに居を構えた。
 
水辺でないと暮らせない、オババにそんな特性があったからだろう。
水の強い浄化の力をもつオババやその仲間は水の神として今も祀られている。
ただし、古い時代の異端の神として、東北地方を中心に。
 
オババの名はおそらくアラハバキ
 
人々のアラ(けがれ)をハバキ(榊のような箒のようなもの)で祓う儀式をしていたと思われる。
祝福であり、自分を受け入れてくれた人々への感謝と、エネルギーの伝授と
この世の平安、人々の幸せへの祈りでもあったのだろう。