新しい世界の物語 〜聖なる豊かさ〜

新しい地球での生き方を綴っていきます

今回のハート塾は『ハートで見る』

久しぶりにブログを書きます。

新しい仕事の始まりと、イベントが続いたりして、夜はつい、ウッカリうたた寝…な日々でした^^;。

さて、前回のハート塾も素晴らしかったので報告と記録のために書きとめておきたいと思います。

今回は皆さん、ハートシステム、ハートに住むご主人さん…などをしっかり見ることができました。

さらにその内世界を変えて現実に対処するための働きかけができました。

皆さん、ここでは書けないくらい不思議なハートの世界をみられていましたね。(*^^*)

それは、もしかしたらパラレルワールドにいる自己の一面(パラレルセルフ)を見られたのかもしれません。


『ハートで見る』ことはもちろん、二つの目で見える次元ではありません。
でも第三の目で見るのでもありません。

私の経験による独自の理論ですが第三の目、サイキックアイで見ることは神秘的な特別な力のようですが、実はジャッジの域を免れません。

それは普遍的な真を見るのではなく、判断する、審神者になるというのが私なりの理論。

対象に対し、一瞬にしてみえるビジョンやサイキックな能力で答えを出したり、これが正しいと判断した答えは狭量で上からな見え方になることが多いのです。

実はヒーラーの多くはこの方法を多く使い、多くの人は外側にそうしたはっきりとした答えが欲しいのです。

しかし、私達はその答えが見る者、答えを欲するものの意識に即した一つの段階からのものだと知らなくてはなりません。

ハートを通して見ると、物事の答えは決して一つではありません。

人は物事の本当の正しい答えを知りたいと思うものです。
また、これこそが答えだとわかったつもりになるものです。

しかし、実際には物事は経験してゆくことでだんだんと様々な意味があることを知ることができるし、

人がどういう人か知るのにも、長く付き合うことでその人の様々な面やあり方を知り、本当の姿が見えてくるものです。
そして、ある時こういう人と思ったこともさらにどんどん変わることしょう。

人も物事も様々な可能性の中で
どんどんと変わっていきます。

一つの正しい答えが本当なのではなく、沢山の意味、様々な見え方がある…
むしろ、それこそが真実だとは思いませんか?

私達はこの地球にあるのは正しく生きるためではありません。

まして正解の答えを知り、間違えないで生きることが目的ではありません。

むしろ様々な経験を経て、知ること、感じ、広く深く理解することの方が大事で、そのために色々経験する道こそ大事で選びとる場合が多々あるのです。

人により、年齢により、経験により、物事や人も、全て非常に多面的多角的な、多次元的な見え方ができるようになり、答えはその都度異なります。


え??
でもさすがに、この問題には正しい答えはあるでしょ?

いくらなんでも明らかに間違った行動をしたあの人が正しくて私の方が間違いなんてないよね?

物事の選択にはそれでも1番ベストな答えがあるんじゃないの?

人はここに何度でも引っかかるのです。

しかし、それらへの答えを一つや二つ、この次元的に答えることはできるでしょうが、本当の答えはないと言えるでしょうね。

ハート的に本当の答えがあるとすれば外側へのジャッジではなく、
あなたはどうしたいか、生きたい方向、魂の選択する道だけです。
それも幾つか、いく通りかあるのだと思います。

外にある物事に正しい、間違いという答えや、物事への一つだけの正しい意味などないのです。

全ては必要な体験のため。
様々な次元からの必然のため。

物事は起こることで消えてゆき、
宇宙は全てうまくいっているのです。

物事も人も様々なあり方でそのままでOKなのです。

それに対してあなたはどうしたいか、だけ。

私達には行こうとする方向、それを目指してゆくのに必要な道しるべやメッセージ、必要な知るべきことがある。

それだけです。

物事への正しいとか間違いとか
正解とか判断的な答えはハートワールドには存在しません。

サードアイで見る時の判断を超えて、今をちゃんと見、本当はどうしたいか、どうありたいかリ・クリエイトするための「ハートで見る♡」なのです。

結局、全ては多次元で、答えも、物の見え方も、その人の意識レベルからのものです。

ですから、外に答えを求めてもある次元からの可能性でしか過ぎず、これが真実なものと思う狭量さはずっとそうでない(とみえる)ことを判断し続けてゆくのです。

自分で自分の意識次元のハートのシステム(マインドシステム)を見て知ることができるようになると、自分の中にこそ1番しっくり来る、それでいて答えのない答えに納得できたりするのです。

やがて外に正しい答えを求め、もがいたり、人をジャッジしなくなります。

また、自分や全てを内で見て受け入れてゆくので、誰かの承認、判断などがどんどん要らなくなります。

出来事、自身のあり方に芯から納得し、肯定できるようになると外側の物事に惑わなくもなるのです。

そうして
自分や全てへ信頼、納得、いつも安心…。

人を見るにも外からの見た目や何かで判断しなくなり、サードアイで上から目線で判断したり、正しく視ることに拘らなくなくなります。


ハートで見る、は全てが自分をみるように見えてきます。


そして、わかってくるのは出来事も、誰かがそのようであるのも全て、自分がクリエイトしていて自分が作り出しているのだということです。

全ては自分、自分の現れなのです。

だったら相手や物事を外から変えようとするではなく、内を変えることですよね?

それはよく、「人を変えたいと思うな、自分を変えよ。」ということに他なりません。

私はこの内的なハートの世界をハートワールド、聖杯の国と呼んでいます。

私達はその内的世界から溢れ出すものを現実化し体験しているのです。