新しい世界の物語 〜聖なる豊かさ〜

新しい地球での生き方を綴っていきます

時々物申したくなります

私の生き方の中に「スピリチュアル」という分野が加わるようになって20年近くになります。いや、25年かもしれません。

若い頃読んだシャーリー・マクレーンの『アウトオン・ア・リム』が一番の衝撃だったのです。
この本に出会って以来、ものの見方は大きく変わりました。

ですが、遡ると小学4年生の頃に学級文庫で借りたエドガー・ケイシーの伝記が大きな出会いだったかもしれません。

感じ続けて来た生まれ変わりのことを証明してくれた気がしたのです。


幼い頃の私は前世の誰かの人生を振り返る夢をことあるごとにみていました。

入眠前、いつも鮮明に様々な国の、様々な民族衣装の人達の映像が浮かんでは消え、また浮かんでは消える。。
皆、何か言いたげな表情でこちらを見ていました。集合写真みたいに一斉に集まってこっちを見ている時もありました。

ですが、それらの映像は、決して気持ち悪くはありませんでした。

サリーを着た若いインドの女性や、長い髪のおじさんネイティブアメリカン、スイス風のドレスの女性など、浮かびあがる様々な人々の映像は見ていてとても面白いものでした。
時にはちょっと怖いな~と映る様子の人達もいました。今思うと、あの茶色の肌の裸のいかつい貌のおじさんはアボリジニの方だったかなあ。
顔に刺青した昔のアイヌの人の姿も浮かんで来た時もなんかドキドキ。

きっと、父の蔵書の図鑑にあった写真の記憶から、これらの映像が来たのだと思います。


でも不思議なのは、やがてそのうちの誰かのストーリーが始まるのです。

例えば、背の高い男性、多分エチオピア人…がローマ人の統治者に直訴して捕らえられて処刑されるというストーリー。
代官のような位置の村役人の横暴にたまりかねて、3人の村の男が一大決心して中央に直訴に赴くも、捕らえられて…。
さらに許しを乞う老親(多分、今の母)までがひどく罰せられる場面などを死んで体から離れたところからみるのです。
(…今なら15禁の映像ですね…。笑)




寺に生まれ、お隣の神社が遊び場という環境で、子供の頃から見えないもの、神仏のような聖なるものに意識を向け続ける環境に育ちましたが、それでも成人してなるべく見ない、感じないようにして来たブランクの時もありました。
あまりにも取り囲まれていたので、根本思考がついそこになってしまうのかもしれません。


また、母との揉めごとの一つが本と言っていいほどに、父は無類の本好きで、様々な小説、絵画、図鑑、物語が何冊もの全集になっているものや、他にも様々なジャンルの本が沢山ありました。

UFOやUMA、アトランティスなどのミステリー本や、宇宙の本だとか、私が敬愛してやまない、ヨガの沖正弘さんの本などもありました。幼い頃から、不思議な本の魅力に私も惹きこまれていましたね。


でも、若い頃の父は私が感じる見えないものは、ないと言いきり、人は死ぬと空となりなくなると言っていました。
(今ならまた違う答えが来ると思います。)

子供の私は、死んだらなくなるという言葉がとてもショックだったと記憶しています。

だから、エドガー・ケイシーの伝記を読んで、輪廻転生をおのずと感じてきた自分自身に確信のようなものをくれたのを感じ、この時同時に自分を信じることの重要性を感じたように思います。

自分の奥から何度も湧き上がる、強くて熱い思いには何か意味があるようだとも気付き始めていました。


それでなのか、親によく逆らう子でしたね~。

親の理不尽に感じる言葉や言い方、接し方などに、どうにも我慢できず、ある日言ってやろうと思いを溜めて言葉も吟味して伝えてみました。

「あのね、親というのはもっと子供に愛情ある接し方をするべきなんだと私は思うよ。」と。

滅茶滅茶怒られました。
両親ともに、よく叱ってくれる親でした。
でも、反抗し、自分の本当に思うことは叱られ、殴られても心の奥に秘め曲げないと思うのでした。

えらそうなこと言うくせに、そのくせ世の中的なことは出来が悪かったので余計に叱られてばかりでした。


そんなわけで、スピリチュアルな生き方25年、いやもしかしたら子供の頃からブランク以外ずっとなら、ん…十年のところに、ヒーリングやセラピーとしての本格的な活動が始まったのは17年前です。
子育てブランクは多少ありましたが、子育ての間でも何とかやりたい、そして、やれることをやって来ました。

いきなり大きなイベントを行ったり、同人誌を編んでた頃もあります。

同人誌の名前は『ワンネス』。
振り返ると不思議なことに、ヒーラーの友人が「名前はもう決まっている、ワンネス。」と言ったことから名づけたお気に入りの言葉、ワンネスは、現在の私の活動の根幹にあるもの、と言ってよい言葉、エネルギーです。
不思議などでなく、あの時にこうなる今がもう決まっていたのかもしれませんね。
全てが本来あるように向かっているし、物事の起こりは全てうまくいっていると思います。
同人誌の最中は何か今出来ることを必死に探していた時期です。
見えない聖なる世界について語り合える、スピリチュアル仲間がいました。
当時、子供を抱きかかえて、よくもあんな大変な作業を頑張れたものだと懐かしくなります。

そして、あの頃とても未熟でしたがとても純粋でした。無謀で、大変な作業、やがて行き詰まり、終了してしまいましたが。

この時の間違いも、不心得も、認められたいという不純な動機も、今思うととても可愛い、無知こそならではの、懸命さに愛おしく感じます。

辛さの中の祈りのようなものだったのだと思います。
自分の本当のところをいつか生きたい、どうやったら生きられるだろう、そして、目の前の環境で出来ると感じることを行うのです。

同人誌の次に、カードリーディングを学び、早速取りかかりました。
環境的に出来ないなんて言ってられません、やりたいから、出来るところでやらせて下さいと思い、大勢集まる場所でチラシを渡してました。

そして、なんと…ありがたいご厚意で受けて頂くことができたのです。

以来、その方が発端で口コミだけで17年、やって来たと言っても言い過ぎではありません。

途中、気になった様々なヒーリングも学びに行きました。

ですが、なんとなくそれらを肩書きに加えるのはしっくり来ないのです。

結局私はそれらのヒーリングから色んな大事な原理や気付きなど頂きましたが、使いたいほどに心に響きを感じることなく、ピンと来ない、私のものじゃないなって気がしていました。

私は小さい頃からどこまでも自分に、自分のハートの奥に正直でいたい人だったみたいです。

魂から湧き出す、本当のことだと感じることが現したかったんです。

やがて、勉強や体験を通し、何より自分のハートを通してそれが湧き上がるようになりました。
まさに自分のハートから、そのハートが欲して来た、自分のオリジナルのヒーリングが出来るようになりました。

名づけて聖杯ヒーリング、神獣ワーク、ハート塾、わんねすりとりーと、リニューアルエナジーワーク、金龍ワーク、日本の神様ワーク、女神ワーク……実は、もっと無限なので、本当は書ききれません。

自慢ではありません、これが本当の、誰しも本来もっている力なのです。

たとえば、女神イシス、ブッダ、サナトクマラ、大天使ミカエル…様々なマスターや天使のイニシエーションワークなんて、もう無限に出来てしまいます。
そこをわざわざ切り取って、◯◯エナジーを入れますと、謳うこともできますが(オーダーして頂ければやりますけれど)それは宇宙の真理から、スピリチュアルと名のつくものを、遠ざけて伝えてしまう気がしてなんか違うと思ってしまいます。

本当のエナジー、本来の出すべきエナジーは自分の奥の存在、魂とその聖なる宇宙から紡ぎ出されるものだと私は思っています。

それは、今行っている、ハート塾で皆さんに伝えていることです。

自分独自のエネルギーと、さらにオールマイティな力と知恵を引き出し、自在に使うことがハートの世界からはできるのです。

なぜハートなのか。
それはハートが愛のエネルギーポイントであり、ワンネスに繋がり、0になれるポイントだからです。
ハートの知恵は知識の知ではなく、いわば無知の知

わからないまんま、宇宙に、自然にお任せ、という状態だから無、無から無限に繋がれるのです。
尽きない欲望やコントロールゲーム、パワーゲームも起こらなくなります。
でも、自然とあるがまま、大らかに豊かになります。


時にサイキックなパワーを開発するのに、ハート以外の、例えば、クラウンチャクラ、松果体、第3チャクラ、クンダリーニ、子宮などを主に開拓するような方法があるようです。

詳しくわからないのに言うべきではないかもしれませんが、危険な部分のある方法だと思います。

例えばイニシエーションを受けてパワーを得たら急に人が変わったと感じることがあります。

それは強い言い方にすると、自分が凄くわかった人になったようなエネルギー、恐らくサイキック能力を開発された第三の目あたりでしゃべるので人より自分が上だという感覚として、感じやすい人には何かが伝わるのです。

実際、そういうエネルギーの人をすごいと思い尊敬してしまう人も思います。

だけど、本当はそんな一足飛びにものの理を真から理解できるわけないので、勘違いを連鎖させてしまうわけです。
自分がよくわかっている、なんでもできる力がある、その力を得て特別な人になったと思ってしまうと、急に上から目線の人になってしまったりして、その人のなりも違いかねないかもしれません。

また、そういうパワーには誰かのエネルギー分配が入るので、自分の魂の声以上に、パワー由来の人や、影響力の強い先生、あるいは見えない霊的なものに強い影響を受け始める人もよく見かけます。

時にはチャクラライン、クラウンチャクラの上が宇宙存在とかに乗っ取られたようになって、何かサンドイッチされている人。
それはあるスピリチュアルグループに所属していた方によく見られる現象でした。
そのところからのクライアント様が続けていらした時には地球を何らかの位置で支配したい存在による乗っ取りが行われていて、それが新たな局面を迎えた感じがしました。
それはもちろん、ご本人、地球にとって、凄くいい傾向です。

また脳内、見えない虫達がうじゃうじゃいる人などは、自身のハート中心ではなく、宗教のような教えや教組の言葉に基づいて生きて来られたといえます。

大抵それらは恐れに基づいた言葉とか理論と縛りのシステムになっているので、本当に冷静に自分で自身をよく観察すればわかるはずです。

準備の出来ている人がマナの泉セッションを受けると自然に取れていき、囚われていた観念から解放されてゆかれます。
(聖杯ヒーリングはそれらの取り除きのワークでもあります。)

特別の宗教やスピリチュアルグループに属していなくても、常識や思いの型が強い人も同じ現象が起きてきます。
現代は明らかに常識宗教、学校的教え、社会通念恐怖に支配されたシステム場になっているから、ハートで柔軟に生きようとするのに強い抵抗感を感じてしまうこともあります。

まだなんらかの観念が必要な学びの人、イニシエーションうけて入れたエネルギーがまだ重要で必要だと思っている人は、本来のエネルギーに回帰してしまうので、解放の方向に行きたくなくなるかもしれません。

誰しも古いものであれ、今まで大事にして来た型が取れていき、裸の本当の自分になっていくには、恐れや葛藤が出て来て、色々な出来事で見せられるかもしれません。


教科書の教えや型、他の人から与えられたエネルギー(パワー)、どれもスピリチュアルな入り口には必要なものかもしれませんが、いつかはそこが中心ではないと気づける時がくると思います。

もう、地球はそうやってハート開くべき時に来ています。


でも教科書の知識がなくて、特別なパワーを捨てて、じゃあ一体何ができるの?と不安になるかもしれません。

でも、あなたにはハートがあるじゃないですか、とマナは言います。


サイキックパワーやヒーリングパワー、様々な癒しや導きのツールはただの道具です。

その道具さえあれば、私はすごい力があると思っていたら、その傲慢さでは本当の力が生きません。

本当の力とは、サイキックみたいなパワーのことじゃなくて、シンプルに愛です。
愛こそが力でパワーそのもの。
反対にサイキックパワーがある人が愛ある人とはなりません。
そして宇宙との合一の力、ワンネス。

ハートから始めると、その愛の感覚や、すべての存在が等しくて上も下もないことが、深い意味でわかります。
皆ありのまま、そのままで素晴らしいということも。


今、スピワールドは、様々なツールの方がハートの愛よりも先行している気がしています。

私は、あなたよりパワーがあるの、よくわかっているのという根底の思いでイニシエーションしたら、次々にあとに続く人も勘違いの連鎖です。


先日のこと。

ハート塾の方がイベントに出展したそうです。
すると、同じカードリーディングの方が、こちらをしきりに観察しているのだそうです。
やがて誰に習っているのかだの、◯◯カードは知っているかだのとちょっと上から意識がわかる態度であれこれ話しかけて来たそうです。

やがて、その人は私の先生は◯◯という人で、とても有名な方なのよ、と言ったそうです。

無名の私の名前、その方きっとご存知なかったかもしれません。

が、その先生◯◯さんは私のセッションがきっかけでこの世界の勉強を始め活動されている方です、というのは言うべきかわかりませんでしたが。
誰かが気になる人を牽制するような、へんてこな空気が癒しの空間に漂って、来場者が嫌なエネルギーの影響を与えてたらおかしな話だな、と思ってしまいました。

人の、そういう流れを承知してきちんと伝えていかないといけませんね。


もし、このスピリチュアルの世界、携わる人も多くなり、人の上だの下だの…
パワーがあるのだの◯◯のパワーは強いとか。。
お金を儲けて成功してるとか、お客様がいっぱいで有名だとか、カリスマ性だとか、そんなことがポイントでは、まずいです。

また、こちらの方がエネルギーが清いだの、私達は波動が高いから◯◯だとかそんな言葉が飛び交う場所もあるとききます。
何が重要なのか、きちんと伝えないとまずいなと憂いてしまうこの頃です。


上からがダメといいながら、あなたこそと言われそうですね。

しかし、長年本当に大事にこの世界のこと、やって来たのです。
時には命がけで。

大切なスピリチュアルの世界がこれ以上混沌としまわないよう、もっと大事なことがありますと、せめてこの小さなブログで伝えさせて下さい。
マナの長く溜めていたつぶやきでした。