闇や影の大きな役割
早くも11月、2016年も残り少なくなりました。
時の過ぎゆく早さにびっくりします。
先月はいい意味で学びが多くありました。
私の周りでもそのような方々が多くいらっしゃいました。
10月は自身の闇をみる機会だったのかもしれないと思います。
学びを試練だと思っているうちは、どこかにまだまだ苦しいような腑に落ちない部分が残っているのですが、結局自分の一部分を見せてくれる鏡だったと気づけると全てが一気に氷解します。
そのことのおかげで、思い込みや、いつかの傷ついたこと、そこから発生した恐れに気づきます。
今まで嫌だったり、恐れていたものがへっちゃらになるか、愛おしくさえ思える、あるいはだからこそ無縁になるかもしれません。
自分の真の望みとか、新しく向かうべき道が見えてくるので、大きな大きなターニングポイントになるのです。
私も些細だけれど、あれ?と思って、つい立ち止まる言葉とか出来事がある時、自分の闇とか、影をみることができたり、それを見て受け入れて、癒し、許し、愛することができると内側の光の中に統合されて、大きく光に転ずるのを何度も繰り返し体験してきました。
物事は多面体。
裏も表もあるし、光があれば影もあります。
影をみせてくれる、素晴らしい時期ではなかったかと思いました。
折しも、昨日はハロウィーン。
巷では、カボチャのスイーツ、あらゆるスイーツ…、お化けやモンスターの仮装から面白仮装大会へと好きなようにアレンジして楽しんじゃってます。さすが日本人!
日本にすっかり定着したハロウィーンです。
ハロウィーンの発祥は例え何であれ、悪魔の儀式と忌むより、私的にはその意味ある一面、闇もちゃんとみてあげたらそれほど悪さしないよ、闇を恐れずみよう、自分の中に受け入れよう、という解釈に受け取るのが一つの受け取り方だと思います。
自分の影や闇をユーモア込めて受け入れて、というメッセージに受け取ったらいいと思ってます。
だけど、私にはまだまだ仮装大会やトリックorトリート!的なノリはひきぎみになっちゃう。。
古いのね、きっと。。
ナイスタイミングでアンデルセン文学賞を受賞した村上春樹さんの影や闇に関するコメントが。
すごく納得する名言です。
以下、「」の太字に村上さんの闇・影に関する名言、メッセージを幾つか抜粋してみました。
で検索して下さい。
「人々は闇の中から出てくる何かを
見つけることで
闇の中から救われることができる。」
「自らの影に対峙しなくてはならないのは、個々人だけではありません。社会や国にも必要な行為です。ちょうど、すべての人に影があるように、どんな社会や国にも影があります。
明るく輝く面があれば、例外なく、拮抗する暗い面があるでしょう。ポジティブなことがあれば、反対側にネガティブなことが必ずあるでしょう。
ときには、影、こうしたネガティブな部分から目をそむけがちです。あるいは、こうした面を無理やり取り除こうとしがちです。というのも、人は自らの暗い側面、ネガティブな性質を見つめることをできるだけ避けたいからです。
影を排除してしまえば、薄っぺらな幻想しか残りません。影をつくらない光は本物の光ではありません。
侵入者たちを締め出そうとどんなに高い壁を作ろうとも、よそ者たちをどんなに厳しく排除しようとも、自らに合うように歴史をどんなに書き換えようとも、僕たち自身を傷つけ、苦しませるだけです。
自らの影とともに生きることを辛抱強く学ばねばなりません。そして内に宿る暗闇を注意深く観察しなければなりません。ときには、暗いトンネルで、自らの暗い面と対決しなければならない。
そうしなければ、やがて、影はとても強大になり、ある夜、戻ってきて、あなたの家の扉をノックするでしょう。「帰ってきたよ」とささやくでしょう。」
これらの言葉に、共感するとともに、私は、あらゆる世界に通じるネットというドアから、この世界のもう一つの闇の現実を伝える動画を勇気を出して見ることにしました。
私達の近代社会影とも言える、奴隷として暮らす人々の真実です。衝撃です。
私達が勇気を出してみることで、この事実にスポットがあたり、それぞれの気づきと行動の光があたり、私達の見えない影でなくなる日がいつか来るはずです。
「リサ・クリスティン:現代奴隷の目撃写真」
で検索して下さい。
- さあ、闇夜が終わり、11月1日、新たなスタートです。
実は、私のもう一つのお誕生日でもあります。
急に不思議に、今日新しいことを試そうと思いつき、計画し、動き始めました。
以前、占いを試したサイトから、お誕生日おめでとう、というメールが来て嬉しいような不思議な気持ちになりました。
美しい彩雲をみました。
思いがけない臨時収入や、嬉しい出会い、嬉しい会話がありました。ワクワクです。
さて、今月のイベントと、新しい試みを載せますね。
どうぞ、よろしくお願いいたします。感謝☆