新しい世界の物語 〜聖なる豊かさ〜

新しい地球での生き方を綴っていきます

折り重ねる心と和の伝統を想う


このブログを始めるキッカケになったのは、ある不思議な霊夢からだった。

その夢は襖で仕切られた畳敷きの部屋、私は座布団に座っていた。

目の前にはもう一つ、座布団がある。

スッと襖が開けられ、この和の空間に似つかわしくない、サフラン色の長いローブのような衣装の、頭もじゃもじゃ天然パーマの、少し浅黒い肌の人が目の前の座布団に座った。

《この方が今日の先生です》と誰かが告げた。
目の前のその人の出で立ちは、どことなくインドのサイババ風だった。多分、男性。
でも雰囲気からは男性なのか女性なのか、わからないような柔らかさ、たおやかさを醸し出している。

そして、その人は何も語らず、正座したまま、少し前屈し、自身の艶やかなサフラン色の衣の裾を、まるでプリーツスカートのようにひだを丁寧につくっては折り重ねてゆく。

何をしているのかわからなかったが、ただ言葉でなく、この感覚を一緒にやって体得しなさい、と言われている気がし、しばし私も同じような姿勢で自分の服の裾を見よう見まねで、そっと摘んで折り重ねてみた。

その時、その方は無言のまま、大きな目で私を見つめ、そうではない、
このようにやるのだと、やり方を何度も、一から修正された気がする。


もう、何年も年が経ち、この頃やっと少しずつ、それはこのようなことではないかと思うことがある。
それは、私のようながさつ者には、極めて感覚に疎いことだから、実際の体得、実践にはほど遠いことなのだけれど。

日本の和の雰囲気に合わせてくれたかのような聖者の、伝えたいことが少しずつ、私の日常の色んな出来事に見え隠れしてみえる気がする。

その夢から覚めて、この方のことが頭から離れず、私はサイババ、とネット画像を検索した。

すると、いつも写真も持っているし、色々見慣れているサイババさんの画像の中に、一つ、髪型や格好がとてもよく似た、けれど、顔や、顔から出ている雰囲気がまるで違う人物像があった。
「この人!」と、思わず、声をあげてしまうほど、雰囲気でハッキリその方とわかった。

それは、インドのバーラ・サイババという聖者だった。
バーラサイと呼ばれ、日本ではまだほとんど認知されていない聖者だった。

しかし、その方の日本のサイトはあったので、見ると、そうそう!この方だ!
と、ますます心奪われて、本を取り寄せ、何度も涙して一気に読んで、当時、師匠であるYさんを通じて、「一緒に聖なる豊かさを伝えていこう」と言われたのだった。
このブログのタイトルはそれで決まり、《聖なる豊かさへ》。

その頃は、近所のスーパーでもその方のエネルギーが繋がる瞬間を感じることがよくあった。
今では私の方から時々思い出した時に繋がるだけ、インド、未だ行っていないし、実際のところ、直接会ってもいない。


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それでもご縁は深いらしく、行きたいと思っていると、すぐその方のところに行って来たという方に会いお話を伺ったり、ミシン屋のおじさん、今ではプロの牧野先生のホロスコープで、私とその方は非常深い運命的な一致があると言われたりした。

私は、未だかつて肉体をまとった地球の存在で、色んな聖者、先生方を見てきて、この方ほど高い次元波動の人を知らない。
以前、講演会でハグして頂いたドランヴァロ・メルキゼデクも相当高いけれど、この方の波動は6の次元はゆうに超えてる。もはや、存在としては人と言うより、《肉体をもった神》というべきなのかもしれない。

インドを一度も離れたことのない、この方が夢でわざわざ日本の私に伝えてくれたことは、
《心を丁寧に折り重ねる》という生き方だったのではないかとこの頃思う。

当時はまだまだわからずに、私なり、その時なりの解釈で済んでしまっていた。

心のヒダというのを知れというのも確かにあると思う。

人の心には、大切に折り重ねられた心のヒダというものがあり、それこそその人の存在してきた大切な証。
それを一つ一つ愛する気持ちで大切に開いていくのは私のセラピーの基本姿勢だ。
できているか、わからないけど。。

大切に心込めてもの事を重ねて行けば、ぐじゃぐじゃの皺ではなく、美しいドレープや、プリーツのヒダになる。
そこに愛や丁寧さ、祈りが込めていけば、大切にその折りはホンモノなる。
折りと祈り。結局祈りは、折りなのだ。生活であり、宇宙からみた地球の錦織りだ。
そして、生きた証し。

折り、織り、居り。

生き方も、物事もそのように重ねてられたら。

家日常の生活も、仕事も、恋も、自分を他、全てを愛する祈りの折りで重ねていきたい。。


今日、京都の伝統ある町屋の暮らしを大切に折り重ねる杉本さん、杉本家の暮らしの番組を観た。
美しい暮らしの折り重ね。大切に大切に折り重ねる日々の心が響いた。

そんな伝統を繋ぐ杉本さん達の言葉や生き方は、伝統を繋ぐことの大事さ、覚悟が伝えられ、凛と美しい。
ありがたい。
和の国日本に生まれて、この心の機微がわからないまま終わるのはまさに勿体無い。
杉本節子さんやご家族の透明で美しい肌には日本の伝統文化や食が大きく関わっていると思う。憧れてしまう。。。


そういえば、今私は、文化財の古民家のカフェで半日バイトを始めたが、そこでもこの和の大切な心の機微に触れている気がして来た。
その場所を大切に思う町の人達が、古きよき伝統と、未来により良い場所へと繋ぐ為の心と力合わせをしていらっしゃる。
様々な年齢の方が集まって、とても素敵で、場所も人も輝いて魅力的。


以前、お客様で、刺し子の布巾を作っていらっしゃる方がいらした。
日々の当たり前のことを大切にしてきた方。それをこれからも大事にお伝えしていく方、と言葉にしたら、まさにそのような創作をされていらっしゃると仰ったのだ。
優しい笑顔と雰囲気が印象的な、陽だまりのような温かい方だった。
日常使う布巾に手間のかかる刺し子を縫う心、本当に素敵すぎる。
私なりにいつかやりたいことの一つ。

この春、娘の一人が、和の伝統文化を学びに、歴史ある古都に住むことになる。
どうなるんだろうなぁと思ってきたけれど、今しみじみ、素晴らしいもの引き継ぐ、素晴らしい人が私の娘であると新たな認識になり。

私なりに、ふつつかすぎて、それでもこの頃は寺の娘として少しだけでも学ぼうと母にお花を教わり始め。書くほどではないけれど、まだまだ。


でも、ふと思いついたことを書いていたら、何か幸せな感覚になってきた。
この国に生まれたことがまず幸せだなぁ。。

この国に生まれた素敵さを感じて、大切に折り重ね、いつも何かの形伝えられるといいなあ。