新しい世界の物語 〜聖なる豊かさ〜

新しい地球での生き方を綴っていきます

ウォーク・イン 3

新しいパソコンに変えたのに、またなんだか調子が良くなく感じます。
新しいのでまだ馴染めていないのか、使い方がまずいのか・・(とにかく機械系音痴なので)。

内面が映し出される世界です、このことは何を意味するのでしょう?
ちゃんと自問自答しておきたいと思います。

さて、そんな私の最近の」テーマはブログのタイトル通り『聖なる豊かさ』です。

最近のクライアントさんのほとんどが『豊かさ』に関わるテーマを持っていらっしゃいます。

そして私はいつもクライアントさん始めとする周りの人や出来事から学びを頂いてます。

全ては鏡。
・・確かにこの最近の心が映し出されているのを実感します。

車買っちゃったり、パソコン買ったり・・他にもあれこれと。
まだまだ入用がいっぱいなのに。
おいおいと心が自分を責めています。

でも豊かさって本当は一体どういうことしょう。

このブログを設定して以来、ずっと自問自答してることです。

お金や物、環境などに何もかも恵まれている人が、豊かどうかには疑問を感じることがあります。
それは私の豊かさのものさしとは違うという感覚でしょうか。
とはいえ、私も勿論、現実に物質やお金が豊かにあるにこしたことはないと思っていますが。

また、意識が高くて心が豊かな人は物質的にも豊かになる、という精神世界論もあるように思いますが、では現実的に豊かな人が心も豊かで成熟した魂の持ち主かどうかというのは違うと思います。

では成熟し発達し豊かな精神や心の持ち主、必ずしも素晴らしい豊かさを具現化しているかということも違う気がします。

物質的に求める心が淡泊といいますか、今あるところで感謝し満足する心が豊かというか、そういう方もいると思います。
それはインドのヨガ行者や聖者の境地に多少類しているのかもと思ったりします。

かくいう私はそういうシンプルさや今ある豊かさに感謝できる足る心に憧れつつも、やはりあれもも欲しい、できればこれも・・と現実的物質的な豊かさも夢見ます。
そしてお金もそれらを手に入れてもなお更にゆとりあるほどあれば嬉しいなあというのが本音です。
欲張りですかね・・

豊かさに関しては私はまだまだ執着や煩悩もある気迷い人。
だからこそ、自分なりの豊かさを現実の世界にも精神的世界の中にもしっかり見つけていきたいのでしょう。

豊かさは何事にも感謝でき幸せを感じる心そのものだということを感じつつも、なかなかシンプルになれない私もいたりして。。

私なりに導きだしたもう一つの真の豊かさとは心やその奥のにある魂に秘められている形のないエネルギーのような、しかしなにものにも代えがたい宝のようなもののこと。

それは愛とか叡智だとか。
それは自分の魂の聖なる宝でありながら、決してなくならず人と分かち合え、それをどれだけ多くの人に多く分かち合えるか、ということが豊かさのバロメーター。
その還元としてもたらされるものが現実的な豊かさなのでは?と。

今、幸せで豊かだと感じている人は先祖の恩徳やかつての自分(前世の自分)の徳が得として還元されているかもしれないと考えるとやはり感謝の心は欠かせませんね。

さて、自分の中のその宝をこれから秘せず黙せず表現していこうというのが今の私の思いです。
宝ですから安売りもいけません。
宝だからこそ、そのように尊厳をもってその価値をわかってくれる人にこそ伝えるべきだと感じてもいます。

しばらく前、大切な魂の知恵の言葉を伝えるにはお金を払うという敷居をまたいで来てくれる、価値のわかる、理解できる方ににきちんと伝えたいと強く思ったことがあります。
それで、無料の瞑想会もやめ、今度は多少でもお金を頂いて私なりにきちんとした形で自分らしく改めてまたやりたいと思っています。

また、いくら内面の宝を世に差し出しても現実豊かさが伴わないい時には受け取れる心の器に問題
があることもよくあります。
形あることにはお金もらえるけど、形ないサービスやエネルギーは無料で当然とか・・商売っ気は嫌いだからあまり多く求めちゃいけないとか・・
私もそうした部分、かなり受け取り下手です。

そんな私が言うのもおかしいですが、奉仕しっぱなしというのは宇宙のエネルギーの循環法則から外れていますから、どこかに無理、支障が生じて来ると思います。
体の不調とか、ストレスとか・・いかかなものでしょう。


また還元として形に現れる事象も普段その人が何を求めているかで現れ方はそれぞれだと思います。


例えばがお金が欲しい人にはお金として返ってくるでしょうし、物が欲しい人にはその欲しいものの形でプレゼントを頂いてびっくりするかもしれません。(う~ん、いいですね、それ)
ランチやお野菜など食べ物がいい人にはそのように、健康とか人の縁が一番欲しいと思っている人もいるでしょう。
聖なるエネルギーと繋がることや叡智を探求している人もいるでしょう。
中には自分への見返りを求めず、地球環境保護や世界平和を欲している人もいるでしょう。(もう十分に満ち足りてるんでしょうね、心が。)


随分長々語ってしまったのに、まだまだ聖なる豊かさに関しては私なりのうんちくがありまして。

色んな方にとっての豊かさも興味深く知りたいところです。


凄く前置きが長くなってしまったので私の身に起きたウォーク・イン(でも近頃では曖昧になってしまいました。以前の私とどう違うんだろう。。。)についてはあまり書けそうにありませんが、もう少しふんばってみたいと思います。


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ウォークインの続き


調べてみるとウォーク・インすると言ってきたアストレアという存在は古い女神であり、アスタルテとかイシュタル(古代フェニキアとかバビロニア王国と関係があるようです。)という呼び名もあったようです。

でもその女神の存在は長い歴史の中でキリスト教的観念も加わって、アシュタルトという悪魔的存在として(キリスト教概念では異教徒の神は悪魔とみなされることが多いようです。)みなされることも多く、ネットもそんな情報が多くありました。

なんでも真に受けるわけではありませんが、入って来られるとなると、さすがに見極めが必要です。

心の奥の魂を探求して辿りついたはずの存在なのに、そのエネルギーの聖か邪か、そんなことが気になり出しました。

ふと我が家の書庫にある、大天使ミカエルをチャネルした本、ロナ・ハーマンの『聖なる探求』が気になって手にとりました。
(この光の翼シリーズが大好きです。アーキエンジェル・マイケルのメッセージは本にしても光に満ち溢れています。)

そして、どこ読むでもなくパラパラとページを繰っていると、ふと後ろの索引に目がとまりました。

するとそこに!
一つの答えがあったのです。



エロヒム(Erohimus)

創造主の思考の資質を代表している七人の偉大な存在。大天使は創造主の感情を代表している。私達の銀河系を司っているエロヒムは七人の存在から成り、形の創造を司っている共同創造主は彼らの指揮下にある。「存在の七つの光線」の一つひとつに大天使がついているのと同様に、それぞれの光線にはエロヒム共同創造神(男性と対の女性)が存在する。

第一光線  ヘラクレスとアマゾニア
第二光線  アポロとルミナ
第三光線  へロスとアモラ
第四光線  ピュアリティーとアストレア
第五光線  シクロピアとヴァージニア
第六光線  ピースとアロハ
第七光線  アークトールスとヴィクトリア  」 

       (『聖なる探求』 太陽出版 ロナ・ハーマン著、大内 博 訳より引用 )



そう、そこにアストレアの文字を見つけたのです。
アストレアは銀河エロヒムという存在だったのでした。

それからルミナという存在にも以前繋がったことがあります。

さすがはミカエル、そしてアストレア。
こんな形でメッセージをくれました。


こうして一つ安心を得て11月1日を迎えたのですが、友人にも確認をとった通り、それは午前中に起きたのでした。