新しい世界の物語 〜聖なる豊かさ〜

新しい地球での生き方を綴っていきます

これぞ、富士山

携帯の電池が山では早く消耗する、と聞いていました。
にもかかわらず、カメラを持たず携帯で美しい景色をパシャパシャやってしまった為に
その時には電池きれになっていました。
 
みんな、上で待っている?それとも、ここにいれば降りてきて落ち会えるかしら?
 
主人や皆と連絡のとりようがないので、待つことしばし・・しかし、だんだん気になり
行ってみようと重い腰をあげました。体力も随分回復してきています。
 
歩きだしたら霧から陽光が差し始めました。
 
でも、昨晩何度も吐いたせいで太陽神経叢にかなりダメージがあります。
太陽のおかげでエネルギーチャージをしてもらえる感じでした。
休むと太陽が雲に隠れたりして、なんだか歩くよう促されてるような気になりました。
それも、楽しい♪
私は「そうだ、昨日の答えを浅間神社に宣言しなくちゃ。」と思いつきました。
 
心の中に浮かんだ、この「せんげん神社にせんげんする!」、このごろ合わせがすっかり気に入って、
頂上まで登るんだ、と決めました。
そう、私はここらでやっと富士山に登っている強い実感がでてきたのです。
そして、どちらでもよいと思っていたのですけど、あの鳥居をくぐりたい、と強く思いました。
 
そんな頃、上から我が隊のメンバーが。私達が登ってくるのにちょっと驚いて、
そしてやり取りして、Yさんと私は頂上に向かう、彼らは7合目で待つ、となり別れました。
 
でも甘かった。本当に願いつつ歩いても、何度も休んでも、なかなかなかなか辿りつけないのです。
荷物は重いし、空気は薄い、ストックにもたれても何も入っていないお腹は苦しく、
くの字に曲がるのです。
 
同じような人がいて、Yさんもアドバイスしてくれながら休む。共に何度も。安心。
さっき追い越した人もまたその先で休んでいる。
極限みたいなのを苦笑しながらすれ違う度励ましあい、よれよれで進む。
これはまるで、人生みたいですなあ・・。
人を生きるか、神として生きるか、そう言えば先の選択はそこを問われたようにも思えました。
 
もういい。人というつづれ織りの連続道は・・・もう充分やったよ、もう降りる、と心の中。
 
登りながら何度も感じ、選択の気持ちは揺るぎない、それをなんとしても宣言するぞ・・・と。
 
鳥居がすぐ前に見えてYさんがそのゴール、鳥居を抜けて行きました。
 
でも、方や私は手前でふらふらなのです、一歩も進めない心地なのです。
 
よたっと倒れ込んで、恐らく私はそこの岩場で一回死んだ?みたいでした。
 
這いつくばって鳥居に・・。
 
それから立ち上がり、何とか、頂上の境内の入口で荷物を置き、参拝しました。
 
さ、宣言です。そしておみくじを引きました。  小吉・・・がんばったんだけどなあ・・・。
 
裏に書いてある神の教えが不思議でした。
 
「腹が立つなら一足あがれ、岩のしたをば水が行く。一歩あがれ。
世の中に尽きぬ諍いの種も、親心になり、神心になって眺めれば、腹も立たぬ、憎くもない。
むしろ優しい気持ちになれる。神様ご照覧のもと、穏やかな気持ちになって導いてやれ、
救ってやれ、助けてやれ。
その為にも先ず自分が一歩退いて反省する事が肝要である。」
 
上ではYさんは眠ってしまいました。それでも、起こして少しお話したり、お天気に照らされた
美しい、頂上の景色を共に眺めたりして・・・お別れをしました。
 
そう、Yさんは別ルートで降りること、それぞれの道を一人でそれぞれ降りる提案をされたのでした。
 
風のように現れて・・風のように去る・・とは下で待っていた他のメンバーの言葉です。
でも、その風のようなYさんは、しばし、頂上で熟睡されたそうです。
 
Yさんの登場始め、不思議な出来事やタイミングの重なりあいが私を頂上に導いてくれました。
特にYさんが加わっていなければ、私は9合目で諦め、というか満足していたことでしょう。
彼女は聖なる計らいから派遣されたように感じずにはおれませんでした。
でも、もちろんそのYさんにも登山は必要だったのです。
変容、解放、宣言、極限、ビジョンクエスト・・人が真摯に求める応え。
富士山は、それを与えてくれる聖地なのかもしれません。
 
その後、私はといえば、下で待っている他の3人を思い浮かべ、できるだけスピーディーに下り進みました。
 
高山病は頂上で不思議にも治まり、ただ胃の重さ、だるさが残るのみでしたので
ウィダーインゼリー片手にザックザックと行きました。
 
でも途中、すばらしい景色に見とれずにはおれませんでした。
 
特に大きくて鮮やかな彩雲を目にした時は、地上で祈って下さっている大勢の皆さんを
思い出し、岩に腰掛けてしばし、瞑想、地球へライトワークをしました。
 
虹の雲はいつまでも消えることなく色を、形を変え、その横から女神が泳ぐような
印象の姿の雲もありました。
富士山では途中の空、頂上に龍神雲、フェニックスが何何回か姿を見せてくれました。
例えば不死鳥(フェニックス)からは一回死んで、生まれた自分を感じました。
空は終始、導くスピリットやメッセージを映し出す、美しいキャンバスでした。
 
7合目に付く頃は足ががくがくし、主人の姿をみてほっとしました。
にこやかに荷物を持ってくれる彼、こんなに頼りになるなんて・・と、すっかり見直しました。
 
手はつながなくていい、と差し出された手をほどき、ひたすら後を追い、五合目で
待ってくれている彼女たちをめざしました。
 
そして、五合目、やっとの合流、アイスクリームのご褒美。
 
アイスをなめなめ、バス、タクシーを調べに行くと、なんとバスはもうなくて、
タクシーは電話しなくては来ない・・ところがかけても一時間半待ち、かけ直しても一時間待ち。
 
スシロ~楽しみにしていたMちゃん、皆その気になっていたのに。
 
正午すぎて、一同お腹がペコペコなのでまた戻り、行きと同じ食堂でお蕎麦やラーメン、どんぶりなどを
食べます。おかしいな~~こんあタイミングの悪さ、こういう時はありえないのに。
そして、気になっていたことを聞きました。
「みんな、頂上でお祈りした?」
すると
「夢中でそれどころじゃなかった。」
私ははは~~ん、なるほどと思いました。
そして少しでいいから皆でライトワークしようと提案したのです。
 
ご飯食べて、皆で駐車場の一角で光の柱を立て、広げました。
 
その前にタクシーが一台きたのですが、それは私達の呼んだタクシーではない、と返事。
 
ライトワーク後、再度聞くと客待ちタクシーで、なんなら先のを断ってこれに乗ってもよいよ、とのことでした。
 
ライトワークが終わると、そのことがわかったので、頼んだタクシーを断ろうと電話すると、
そのタクシーもそこまで来ているとのこと。聞いてたよりだいぶ早い。
 
全てがグッドタイミングに急展開、そんな気がしました。
 
帰りはご褒美の温泉につかり、岐路に着いたのでした。
 
全てのタイミングが整って、私は富士山を登った、登らされたではなく・・
 
今になってやっと、登らせて頂いたんだと心から全てに感謝しています。
 
その感覚は色々なことに対しても感じられるようになりました。1
もしかすると、そのことが一番の収穫だったかもしれません。
 
皆様サポート、沢山の光をありがとうございました。