新しい世界の物語 〜聖なる豊かさ〜

新しい地球での生き方を綴っていきます

夢想家として

昨夜夢を見ました。
とある場所を清掃だか、浄化しなくてはならないように言われた気がしました。
四角く区切られた、さほど広くはない場所でしたが、私が、と名指しされ、その場所の中に入ってみると
周りの人は、防御服に身を包んでいます。包んでいない人もいました。
 
ふ~ん、ここを綺麗にするんだ、と中に入ったところでそれを目にしたので
その場所にいる私だけが一人、肌を出した普通の格好をしているのが、急に妙に感じ、
そして危険だと感じました。
 
急いでそこから出て、「まずは防御服!~」と騒いで夢が終わりました。
 
 
本日は8月9日。長崎に原爆が投下された日。
 
新聞に、村上春樹さんがスペイン・カタルーニャ賞受賞式で語られたスピーチが載っていました。
涙が出ました。
伝える言葉というものの凄さを感じました。
そして、この言葉の厚みから、色んな人々の思いが私の中で交錯したように感じました。
 
国民という、大きな集合体の代表機関の推し進めたことが原子力発電ならば。
 
それは、一体どれほどの薄さなのだろう。どれほどの浅さだろう、人の感覚の薄さ、先を読む浅さ。
人の思いを量ることを効率に変えて計算にしてしまったのか。
 
原爆を投下され、多くの方が無くなり、しかもまだその影響で苦しみながら生きている
多くの方々がいる、というのに。
 
でも、一番は私達国民一人一人の意識のなさであった、とも感じました。
それをくいとめようとしなかった私達国民に責任がある、と。
 
大きな枠組みの中、無力に言うべき言葉を知らない、できないと信じこみ無関心に、
そして原発とはどんなことなのか、真に知ろうともしなかったと思うのです。
 
私も遠足で出掛けた原発は綺麗な緑に包まれた場所、(なぜか気持ちの良い場所には
思えませんでした。)でも興味がなかったのです。退屈としか思いませんでした。
 
大人になっても、原発と言われても、子供の頃見た、退屈でなにもない場所という無関心な位置でしか
思い馳せることができないままでした。
 
 
さて、夢の話に戻ります。
 
私はその場所が、放射能で汚染された場所だと知らず、大丈夫という気でいました。
だから、防御服も着ていなかったのです。
知ったら夢の中だけど恐ろしいと思い、防御服がいる、さもなくば逃げたくなりました。
 
では現実はどうなのでしょう。
 
子供達の転出の数も新聞に出ていましたが、非常に多くて問題だ、
将来の復興が危ぶまれるという論調でした。
 
私だって夢の中でその地が汚染されていると知らずにいたから、平気でいた・・
でも、知った途端、自分の力とか、魔法を使おうとか、夢なので使えたかもしれないのに、
その前にまず防御服って思いかなり慌てました。
 
御服なしに、ましてや子供に過ごさせるなんてできないと思います、例え夢の中でも。
 
まずは人の心理、それが大事。
心は健康や色んな現実に現れます。
 
しかも、夢でなく、これは私達の国の、それもついこの間まで、もっとも美しいうちの1つ、
平和で自然豊かな場所に起きた事です。
私達日本人全体に、未来に、子供たちに、地球全てに関わってくる出来事なのです。
 
今度こそ、人事、よそで起きた出来事みたいにして、無関心になってはいけませんね。
 
・・我々は力強い足取りで前に進んでゆく「非現実的な夢想家」でなくてはならない・・
という村上さんの言葉。
 
私に出来ることは何かと問い続けながらも、少なくともまずは日々、
全ての人々の安心な暮らしと素晴らしい光に満ちた時がやってくるよう祈りたいと思います。