自分の発言について反省。
私は特に特別な理由がない限り、ランチやお茶などしない主義にしています。
そこで生まれるものが不特定でランダムなあてずっぽうな会話で、それに流された
時間を過ごすのが嫌・・・・なせいだとずっと思っていました。
それも、好きではなかった。。でも、もっと切実な理由がありました。。
とはいえ、理由があり、必要だと思う時にはいそいそと喜んで行きます。
つい最近もそんなわけで。
正直な会話、大事な内容、それを語り合っているうちにどんどん話すうち、
あまり気持ちよくない内容も出てきて、それにもまたどんどん会話するうち、
なんだか気分が悪くなってきました。
要するにちょっと!、それはどうゆうこと???
自分についての噂?怒ることではないんだけど心に引っかかってしまいました。
また、それをホントなのかどうか、他の人に聞きたくなる。。。
正直どうでもいいことです、、
でも、ちょっとだけ。。
そんな自分にも気持ちよくは感じられませんでしたが、つい衝動が。
そして、昔からの友人についそんな内容を含めて長電話。
ちょっと喉が痛くなったみたい。
後味の悪さ、他人の時間を奪ってしまった申しわけなさ。
本当にごめんなさいと思いました。
そういえば、私も思ったまま言うことで噂話の種を作るのです。
ようやく気づいて、
娘に「お母さん、人のことを言う時思ったまま言ってしまう、これはいかんね。」
娘も「そうだね、だめだね。言葉を発する前にしばらく間をおいてから話すように。」
最近、彼女が私の重要な先生です。
翌日は風邪の前兆のように喉がイガイガと痛い。
より一層、恥ずかしいなあ・・・。気づかされました。
最近読み進めている本を開いたら、まさに戒めの言葉がありました。
「声は波動です。従って自分の言葉のエネルギーが破壊的なものか、建設的な
ものかをつねに意識している必要があります。
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噂話に講じるのは生命エネルギーの無駄遣いにほかなりません。
みずからを貶めているようなものです。噂話の的に向けられはずの負の感情は
自分自身にもまとわりつくからです。エネルギーは双方向に流れるものですから
自分が発した言葉は自分に戻ってきます。
誰かを口やかましく批判すえば、やがて必ず自分に対しても同じことを
感じるでしょう。あるいはすでに感じているかもしれません。」
「他人に寛大になれないのは、自分に寛大になれないことの現れなのです。」
「「他人に言われた言葉をどう受け止めるか否かは、自分次第だということを理解
しましょう、否定的な言葉に対してどう反応するかを選ぶのは自分なのです。」
まさに自分だと思いました。
恥ずかしい、という言葉では足りませんが未熟な私、これから
戒めてまいりたいと思います。
著者はこうも書いています。
「あなたが前向きな態度、誠実さ、寛大さ美しさを感じさせる言葉を心から
大切に思い、それを使うなら、相手も信頼を寄せ、心を開き、敬意を示して
くれるでしょう。
そうやって、あなたは美しく肯定的なものがやってこられるように、
道を整えているのです。」
言葉のデトックス、生き方、心・・・
大切にゆこうと思います。大いに反省しました。
人の話。いつだって自分のことなんです・・。
でも、つい。
だから私はそういう理由で、何気なくランチやお茶を避けていたんだなあ。
そんな自分を卒業しよう!