新しい世界の物語 〜聖なる豊かさ〜

新しい地球での生き方を綴っていきます

当たり前を超える

以前から内側に『当たり前』を超えなさいとよく言われている。

じゃあ、その当たり前って何か、それを超えるってどんなことか、これまで何度も感じてみた。

当たり前って色々なことになれ合いになって、有難いということ、感謝の気持ちを忘れてしまうことかな。

うん、確かに。
私には当たり前になってることが山ほどある。
そこでありがとうワークをやってみた。

全てのことにありがとう、感謝します、と言葉に出して言ってみた。

お父さん、お母さん、兄弟、仲間、ご先祖、宇宙や神様、食べ物や水、土、空気、地球、身体、命、思いつくもの全てにありがとう、としみじみ言ってみる。

そうやって有難い、ありがとう、なんて有難いんだ、嬉しい、感謝だ~、となった時に身体の細胞がみな喜ぶみたいな感覚が湧いてきた。ジワ~。

ある、ここに存在すること、それだけでなんて有難いことなんだ、と思えてきた。
ちょっと感動的で幸せな気持ちになれるワークだった。

しかし、そんなことがあっても、まだ何度も当たり前を超えなさいと言って来る内側。

その意味は他にも色々あるみたいで。

常識や規制の頭の知識で考えるコースから外れなさいと言う意味にも感じられた。

そこで、ますます頭の考えでない、自分のハートの声と常に話して常識に囚われず、自分らしい正直な在り方をと心がけて来た。

しかし、また振り出しに戻ることになる。
それは当たり前を大切にしなさい、との内側からのメッセージ。

当たり前を超えろと言ったり、大事にしろと言ったり、もう、どっち⁈

しかし、最近やっと言ってる意味がわかって来た気がする。

当たり前はダメではなく、やはり大事なのだ。

この場合の当たり前とは人としてある為に必要不可欠な、日常の大切にすべきこと、挨拶や言葉、礼義や義務、責任、ある程度の知識や常識も大事なのだ。

つまり、当たり前、そのもう一つの意味は人として、目の前にあること、今から逃げず、大切にするということ。

なぜなら毎日、ここにあるだけで私達は皆、生かされ、与えられ、愛され、恩恵を受けているのだから。
難しいこと、外にあるもの、夢を追いかけ過ぎて目の前を大事にしないのはまた、振り出し。

だって何が良い在り方なんてない。
今ここにあるだけで有難いのだから。

皆、尊く、等しく、大切な存在なのだから。

当たり前の日々の暮らし、当たり前の人としての在り方を大切にすることを疎かにしてはいけない。

そういう意味では当たり前が基礎基盤。

この基盤を作らずして常識外れて生きたところで、超えるという意味にはならないのだね…。

あ~あぶない、アブナイ。
私はつい、そういう人になりそうになる。

当たり前という言葉のメッセージからは
当たり前は大事、
しかし決してその言葉に囚われることなく、
馴れ合いになるべきものでもなく。

ただある、を当然と享受してしまったら、
その『当たり前』の世界から決して超えることは出来ないのだ。

最近なんだかわかって来たけれど、それらはなかなか簡単じゃない。

日々、感謝に満ち、いつもハート繋がり、目の前のこと、今、ここ、自分を受け入れて大切に生きること。

さらに出来ないこともあるとも知ろう。
出来るのが当たり前、じゃないと思うし。
色々な道があるとも思う。

これだけが絶対一番、とか、こっちがベター、ベストだと言う思い込みも外そう。
柔軟に、なんでもありだよね。

それがきっと私の場合の当たり前を超えた、ここからの新しい世界。

その世界では過去に囚われなく、今の中、ハートの奥から湧き出でるものを大切に生きていく。

そして、あることに感謝、今ここを大切に愛してゆく。