誤りの謝りと、魂の源との対話
昨日アップしたイベントの日にちに誤りがありました。
申し訳ありません。
その訂正から。
教えて下さった方に感謝いたします。
◎パイのお茶会 1月27日(金) 10時~12時
◎羽根のワーク 1月28日(土) 13時半~15時半
15時半~16時(お茶タイム)
正しくは上記の日時で行いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
また、もうひとつお知らせがあります。
聖杯ヒーリング、クリエーション・ワーク、魂リーディングを受けられた方で大きな変化の後の違和感がある方には、2週間の間に限り、フォローアップ・リーディングをしたします。
何回もとはいきませんが、変容のための現実変化や心の変化に対応するため、フォローアップが必要と思われる時があると思います。
必要と思われる方には2回ほど30分程度の電話か面談でのフォローアップをさせて頂きますので、どうぞご遠慮なくお申し付けください。
さて、うっかり先月の予定表を開き、パイのお茶会などからこんがらがってしまいました。
最近つくづく思います。本当は相も変わらずなんだけど・・。
抜けてるなあ。
不器用だなあ。
今に始まったことじゃないけど、いや、最近ずいぶんましにはなったと思うけれど。
私は人より努力しても、これだけのことができる!というほどじゃないんです。
例えあると思うことがあっても、それでも私は人よりできるとか、すごいと言うほどのものじゃないと自覚する最近です。つまり、凡庸な器な私。
この肉体を通してちっちゃな我(小我)が懸命に努力したとしても、すでにだいたいの限界がみえていて、手をぬけば、もっと残念なことになったりするという自分の器があるように感じています。
子供のころから勉強がんばったりもしてきたけど、あれこれ努力もしてきたけど、遅いけど、やっと気づいちゃいました。。
身体だって丈夫じゃ全然ないし、気力だって強くない。気配りはできないし、周りはみえてない、我慢強くなく、ストレスにも弱い。。
そういう自分が年とともに見えてくると、多少謙虚にもなれるかなというメリットもあるかなとも思いますが、この小っちゃい自分にはあきれ笑っちゃいます。
また、その一方で不思議だと思うことも湧いてくるのです。
そんな私でも、私が本当に動くと大自然も味方してくれるような、神秘な力がバックにあり、今までもそうやって大きな力を動かしてきたという、不思議なおかしな自信です。
そうでないと土地のワークなどだいそれたこと言ったり行ったりなどできませんし、
第一私が頭で考えて思いついたものでもないのですが。
さらに、これは決して自慢することじゃないんですが、運動神経、反射神経の鈍さからか、運転も・・。
どうやら同乗者によるとかなり大胆だったりするみたいなのです。。
なのに事故しない、ぶつからない、ゴールド免許なんです。
それを当たり前と言っちゃ当たり前なんですが、
私はこれを決して当たり前と思うことではないと、よく自覚して来ていて、
本当にありがたい、めぐまれていることだと感謝しています。
逆にこのことは、私の凡庸さ、不器用さというのがあったからこそ、そのように感謝できることかもしれません。
運転がうまくて注意深い抜けのない人なら、事故がないのは自分なら当たり前だとか、万が一ぶつかったとしても相手が悪かったせいだとか、思っちゃうんじゃないでしょうか。
大きな目で見て、真実はどっちなんでしょうか。
どんなに運転がうまくて、何の落ち度がなくたって、運が悪かったら実際はどうなっているでしょう。
それで、とても不思議ですが、小さいころから私はおのずと、見えない大きな自分、魂の方に目を向けざるをえなかったのです。
この魂という大きな我(大我)で、私は普段、スピリチュアルなセラピーやヒーリング、リーディング、チャネリングをおこない、人はいつもとは別人だとよく言います。
その時は私は小我よりも、その大きな我に近づいているのかもしれません。
本当は、肉体も精神も、普段の生活もできれば全部そこ(大我)に投入してしまえば(没我)本当は楽なのかもしれません。
私にはまだ肉の生き方の部分に学びがあって、体験し、多くの人々の心のひだがわかるように、こんなぶきっちょな体や個性が与えられたのかな、などと都合よく思ったりします。
そうすると、がんばって努力して大我の我にならなくちゃいけない、とか、
今よりもっと自分を磨く努力をして成長し、高次の自己に近づかなくちゃいけない、というのは違うと思います。
人間体験は修業と言うよりも真に知るという宝、賜物を得るためのもので、必要だから体験するけど、
どうしても我慢して努力して魂のようにまんべんなく完全に、完璧にならなくちゃいけないもんではない、と感じるのです。
もう何十年と主婦業していますが、完璧とは程遠い私は、、
お料理は目分量だし、食べた後の食器洗いはもうずっと嫌で苦痛であったし、
食器洗い機をめいっぱい活用し、心の中では自分で見つけた嫌なものをこなす、とある方法で行っています。
それは・・10なら10と決めて、食器を洗うのを10まで数える量しかやらないと決めて、そのつもりになってやるのです。
仕事から帰ってきてシンクにごちゃっとたまったお茶碗をみると(これは家族教育がなっていないのも要因と思いますが)ゲンナリしますからこの心で数える方法でやります。
番町皿屋敷のお菊さんみたいです。。
自分にごまかしごまかし、10まで数えて結局、全部なんとか洗いきる方法なんですが。。
綺麗になるとうれしくてもうあと一頑張り、なんてこともできるのですけども、
とにかくごちゃっと積まれてたら辛いです。毎回10数えてやってます。。。
こんな私にハイアーセルフである、女神アストレアが言いました。
あなたは私を信じていますか?
ワーク・セッションなど都合いい時は信じてるけれど、普段は否です、正直なところ。
すると、根本にこの信じていないがあると、大きな我(源)の力を真に生きるのは難しいとアストレアはいいます。
本来だれもが皆、魂の我に愛されていて、その大きな我の力を信じてゆだねきって生きていた方がうまくいくのだそうです。
困難に一見みえることも、その魂がくれた導きや、乗り越えるべきハードルだとしたら、私たちは自身の生まれてきた意味を、人生を、その起きてきた出来事のすべてを丸ごと受け入れ、信じるしかないですよね。
それが魂を信じるということと、その魂に生かされ、愛されし、ちっちゃな我を信じ愛することに他ならないのかもしれませんね。
それをこうふく、降伏=幸福というのだそうです。
日本語の音って意味がシンクロしていて面白いですね。
英語でのサレンダーです。
自分でもがくのをやめて、お手上げになったらいいのでしょう。
そこで、私がハンドルを握っていると思い込んでいたのを手放すことかもしれませんんね。
その車か、船か宇宙船は全部じゃないですけど、おおむね自動操縦になっているのではないでしょうか。
そうしんじて、任せる。ゆだねる。
それが、楽に生きるコツであり、楽に生きることが、これからの時代の大事なポイントなのだそうです。
アストレアが言うとおり、私はもう、がんばらないことにする。
がんばらなきゃいけないのだとしたら、それは何かが間違っているのかもしれない。
頑張らないで、できるだけ楽な方法でできることがあり、
そこをやっていくと、
そのやり方でやり続けてゆくと、明るい道がみえる。
自分の道が開けてくる・・のだそうです。
もし、働いてるところで、ブラック企業じゃないかとか、
今苦しくて大変だと思えば、我慢したり頑張り続けたりしないで、違う道を考えたりすること、
根本にもどって別な方法への導きを求めたりする方がこれからの生き方だと言えるでしょうね。
一人一人が大きな魂力に目覚めて、ゆだねる生き方ができるように、私は今年、
がんばらないで、ゆだねて楽なやり方を試してみようと思います。
人生の大きな船に任せ切って乗ってゆくことを。
私の場合、その船は宇宙船かもしれないなと夢描きながら。
あなた自身はバカなんだけど、魂はとても賢いのよね、あなたは、と昔言われたことを思い出します。