新しい世界の物語 〜聖なる豊かさ〜

新しい地球での生き方を綴っていきます

再び生まれ変わりました。

今日は久しぶりにブログを書きます。

突然ですが、そろそろこのブログのタイトルを変えようと思うんです。
変えようというより、もう変えているんですけどね(笑)。


今日こそはブログ更新しようか。

が、スマホッ首だというのか、なかなか首が辛い、うーん、もっと言えば身体全体がだるい。。。

そういう日が続いて、気づくと再びの、のんびりモードになってしまいました。

一番は書きたいと、内側からこみ上げるものが感じられない、自然な衝動が湧いて来ないのでした。

で、身体がだるい、やたら眠い、そして今までやって来たことにもパッションがあまり湧かない。。。


実は、こういう時がこれまでも何度もあり、私はまるで一つの世界の終わりのように感じて来ました。

大げさに聞こえると思うんですけれど、私は常に内側とコンタクトをとり、何度も何度も確認をして来ました。
そのメッセージの一つの表現として、終末の時が再び来たのかと感じたのです。

またかと。。。

その終末の時。
それは大きなパラダイムシフトの時、パラレルワープであり、一つの我の死と新しくてより奥の本当の私へと生まれる時なのです。

ほとんどの場合において、その前兆に、烏が近くに来て絡んできます。

カアカア、ガアガアと何か重要な伝言があるように。

彼らは次元の狭間の護りであり、次元と次元の渡し役なのです。

彼らが騒ぐと私は、また渡りの時が来たか~と呟きます。


烏というサインと、もう一つ死ぬとか、死ぬ準備をする夢を見るのです。


そういう時が訪れる度、日にちも決めて、私は自己へのワークをして来ました。

思えば、その最初の日は2009年11月1日。

内なるハイアーセルフ、女神アストレアが、ウォークインをしてくること、その日時も伝えてきたのでした。

私はそれまで長年、スピリチュアルな学びや活動を通し、それから小さい頃から自然に夢にみてきた数多くの過去世の開放を行い続けて来ました。

そして、これまでの魂は他の大きな意識の集合体であり、人類を学ぶために自身で入れ替えたものであり、本来の自身のものではないと。

しかし、それを経験し、その学びも終わり、本来の自身の魂に戻る刻限が来たから準備をするようにと、アストレアに言われたのでした。

アストレアは、通常モナドと言われる、魂の帰属する一つの源(私の魂の場合)、8次元の大きな意識体です。

そして、その最初の入れ替えの日以来、何度も何度も私の中のエネルギーは開放と、モナドから送られる新しいエネルギーの注入、その繰り返しを何度も行なって来ました。


ですが今回は…。

忙しい、時間が充分にない、なんか今はだるい、眠い、とダラダラと日が過ぎてしまいました。

既に古いエーテルの衣がほころびつつも、私の自我はまだ、待って…とか、なんだかんだと言い訳して来ました。

実際、私に限らず、クライアントさんも、世の多くの人達も、皆、変化変容=変わるのが怖くて嫌だったりするものなのです。

私自身も今回あまりにダラダラと自分で引き伸ばしていることが妙に思え、ついに自己に聞いてみると、自己の一部分である自我達が、だって怖いし、嫌だから、と答えました。

そして、なぜ怖いかと尋ねると、それは自分の死は怖いし、死んでしまうのはいなくなると同じで嫌だということでした。

いなくなりはしないんだよ、その自我に話しかけながら、
考えてみれば、そりゃあそうです、とも思いました。

昨日まで続くの世界、世界観、感覚で我だと思っていたものが、身体から離れてこの世から卒業する死というものは、自己がなくなる恐れに他なりません。

自身で築き上げたと信じることを手放したらどうなるでしょうか…と。

なんだかんだといって執着がまだまだあるのですね。

だいたい、〈自我ほど死ぬを恐れる〉もの。

だから、人は大きな変化、変容というものを恐れ、その時期に抵抗したりして心が辛かったりするのです。


しかし、私の奥から外側に湧き上がり、見え見えバレバレになってしまった自我は、自分で丸わかりでした。

この感情も感覚も考えも以前の誰かから引き継いだものとわかり、言い聞かせ開放していきました。古いエゴは脱ぎます、と私が決意しつつも、それでもなかなかソワソワして集中出来なかった今回の〈渡り〉だったのでした。


今月11日、この日私は別のワークをしようと感じていました。この日になるかどうか?と思いつつ。
結局、この日、私のための記念すべき〈渡り〉をやっと終えることができました。


さて、私は珍しいウォークインの魂ではあるけれど、

だからこそ、出来るだけ足を地に着け生きようと、普通に地道に生きようと思い、自分なりに努力しつつもバレバレなことがあるものです。

まあ、生き方からバレバレなんですが、それもさることながら、もう一つが手相です。

私の左手の手相です。

私は両手とも変わった手相で、先日手相を見てもらおうとして、あまりに変わっているのでコメントはなく、先生に見せて聞くねと写メを撮られたことがあります。

以来気になって、ネット、YouTubeで手相の勉強をしてしまう私。

思い返すと明治生まれの育ての祖母が私の破天荒過ぎる左手をしげしげと眺めては、「まあ、この手は百握りの手だよ。この手ならまむしを掴んだって大丈夫。」などと冗談めいた言葉を呟くのでした。


私の左手の手相はこんな感じ。右手も変わっていますが、一生懸命普通であろうとして努力した跡が見え見え。


左手は、生命線が二重になっていて、重なっているところもあるけれど、最初の始めの生命線が途中で切れています。

二重生命線の場合、九死に一生得るというような強靭な生命力や強運をあらわすというんですが、私はスピリチュアル的な知識と内なる知恵で持って手相を読むとウォークインを読み取ることが出来る場合があるのではと思います。

私のこの生命線を流年法という年齢を読む方法で読みとると、私のウォークインの始め頃の年齢がまさに先の生命線の終わりになっているんです。

で、よ~くみると2つの生命線は細く繋がっていて、私の今みたいに片方はゆっくりと死んでいく…という変化をあらわしているようです。

実は私も、スピリチュアルセラピストとして、私のようなウォークイン魂もつクライアントさんに2度ほどお目にかかったことがあります。

しかし、そのどちらもが、魂の半分ないし、3分の1が入れ替わる一部分のもの。

どちらもが、ウォークインは数回のセッションであっと言う間に速やかに行われてスッキリ若返ってお顔が輝かれて大きな人格の変容がありました。

でも、私のように、丸ごとごそっと入れ替わるウォークインの場合は、大きな事故か病気で死んで生き返るような過程を経て行われるのが通常なのでしょう。


そして、私の場合は小さく何度も意識的な死を自分で迎えて変化することもありということなのでしょう。

内なる魂の声のおかげ、と思います。

ハートで常に自己の魂と繋がっていなかったら大きく死ぬような何事かを経験させられたのかもしれないからです。


そうして〈渡り〉を超えて今。

新しい感覚がゆっくり湧き上がって来ております。


そんな最近、やたらと〈種〉が気になって、シードという言葉を使いたい。

生命と創造を司る女神、アストレアは種の形の乗り物に乗って私の意識に降りて来ます。

幸せという概念に意識が向きます。
今、私が大切に言葉に紡いでいきたいことが〈幸せ〉ということなのです。


今、新しいワーク、ハッピーワークも行うことを決めて動き出しています。


このブログにても、ハッピー、幸せ、という概念についてテーマに書いて行きたいと思います。


しばらくずっとテーマにして来た〈聖なる豊かさ〉ってなんだったの?と尋ねられたら…。


さあ、一体なんだったのでしょう。。

私が一般的な豊かさ、お金持ちになっていたらお金の話も出来ると思うのですが、それはうーむ、この先の私に任せようと思います。

しかし、豊かというテーマ、私なりに意識して来たことは間違いありません。


そしてある時、伊勢下宮で皆と祈り胸に響いた言葉、私に言える答えはそれしかないと思います。

それは目に見えるもの、形あるもの、銀行あるものとかではなくて。。。。

『いつも、どこにでも、誰にでもあるもので、無限でありながら、

                 今、ここ、自身の中から内出す(いだす)もの』     だということ、です。


私にはこのようにしか答えられません。

私はいつもいかなる時も内なる豊かを内出すことができます。

私はいついかなる時も豊かでした。そして、これからも。


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