新しい世界の物語 〜聖なる豊かさ〜

新しい地球での生き方を綴っていきます

幸せの土台となるもの

ブログのタイトルを変え、これから私なりの「幸せ」ということについて書いてみようと思います。

私なりの、というよりは主に内なる魂のメッセージです。
幸せってなんだろう、と思うところがあり、私が聞きたくなって、内側に尋ねる。

そしてその答えに新しい発見をした時、このように書きたくなってきます。


そんな「幸せ」、「幸せの種」というかヒントについて書いてみたいと思っています。

豊かさや幸せというものを人は希求します。

それが多くの人の望みや願い、祈りであったりします。


では、「豊かさ」「幸せ」って一体どんなものかと言われたら、一言では答えられるものではなく、突き詰めると形的なことではなくて心によることが多いと思うし、仮に形であろうと心のあり方だろうと個々によって全く異なるものだと思いませんか?

その人が心から幸せだと思うなら形や条件ではない。
とらえどころがない。

そして、そのような幸せという概念が必ずしも必要か・・・う~ん・・・。

私は多くの人が生きるのにある程度の幸せ感は必要だと思うけど、ある段階を抜けたら特別必要なくなるんじゃないかなとも思ったりしています。

小林正観さんの本にも書いてある、仏教的、空の世界「般若心経」にも書いてある。

嬉し楽しいも、悲しみ怒りも、幸も不幸も真に一切は空。。。

確かに一切は空、だと奥ではわかっています。
だけど、死にゆくのでなく、人として生きていく以上、誰しもある程度の幸福感は必要だと思うのです。
少なくとも不幸感は脱ぎ捨てたい。

それはほんとはほんの少し心のエネルギーを整えることで幸福感、幸福度はアップすると思うのです。


では、私は幸せかどうか問われたら、
うーん、・・まだまだかなあ、いや、もうかなり幸せだろうなとか、考えてしまう。

その時の気分で変わってきてもしまう感じです。

まだまだ、幸せというものへのこだわりがあるのかと思います。


まだまだ「ここ」が本来ではないという感覚があるのです。

それは今が途中の段階で、経過だからと思っているからかもしれません。

でも、振り返ってみると以前よりも私の安心感、幸福感は随分UPしています。
何より「すべてはうまくいっている」という信頼感覚はとてもしっかりと心の土台になっています。

今というこの時、確かに「ある」し、おかげ様で「生きています」。
いえ、生かされています、かな。

そして、ありがたいことに、ちゃんと「大丈夫」でいます。

見えない先を案ずる不安、そこにフォーカスするのは心を疲れさせ、精神を不安定にします。

振り返ると未来を案じて、立ち止まってしまうと本当にお先真っ暗に見えてしまうから、そんな現実は作りたくないですよね。

大丈夫、
きっとうまくいく、
なんとかなる

そんなシンプルな言葉を言い聞かせながら、心のエネルギーを整えたいですよね。

私は「幸せ」というエネルギーにはピラミッドのように、下から基礎の土台となるような価値観・世界観があって、中間の段階にはそこに基づくよりポジティブな意識の段階、そして上部にはそれらを踏まえて、なおかつ凌駕するような段階が乗っているのだと思います。

つまり、「幸せ」エネルギーのピラミッドのトップ部分にまで幸せ意識を磨いていったら、「幸せだ」という感覚は超えてしまうんじゃないかとも薄々思っているんです。

幸せか不幸か・・どっちだって問題じゃない。

いつだって、すべてうまくいっていると心の底からわかっているというような、

仏教の悟りにも似た、般若心経のような、空の感覚といいましょうか。


一見ものすごいハッピーにみえることがあっても、逆にがっかりすることや大変に感じることがあったとしても、
結局どの時も大差なく楽しんでいけるというような、そんな感覚。

そういう感覚にまで突き抜けたら生きるのが楽だと思います。

ホ・オポノポノで潜在意識の記憶を浄化し続けていけば、ヒューレン博士のように、自分で設定するハッピーではなくて、天から授かる大きな天授(大幸運)が降り注いでくるのでしょうか。
私はそう、信じてもいます。

さて、そんな私の世界観である幸福ピラミッドですが、これはこの世的にあると思っています。

さらに私は、ピラミッドっていう過去のアトランティスとかからの遺産は、人間の様々な生きる意味、その意識のあり方を教えてくれるサインとして残したんじゃないかとも思っているんです。

さて、「幸せ」の定義、もっとも基礎の土台となる大切な意識について次に書いていこうと思います。

それは現代社会において、その大切な土台となる意識部分をほとんどの人々が忘れて起きざるにしてしまい、当たり前にしていること、それが幸福を求めてやまない形的物資的あり方に変えてしまっている一つの原因だと思います。

そんな意識の大切な部分にスポットをあてることでその失いかけて不安定になっている土台が蘇ります。

とても簡単なワークでその気づきが生まれ直し、蘇るのです。
次回のブログにそのこと、そのワークの方法を書いてみたいと思います。


そのワーク法はもちろん、私の世界観も私のハートの奥の魂の源である女神アストレアが教えてくれたことです。