奥ゆかしい日本の岩戸開きか
タイトルは《奥ゆかしい》。
ですが、まずは最近の大相撲のことから書いてみたいと思います。
連日マスコミのゴシップネタになっています。
最近、再び新しく注目を集め始めた相撲ですが、この度の連日報道のおかげで良くも悪くも日本人の持つ独特の感性というか、世界でも稀な精神性にスポットが当たり始めた気がしています。
相撲はそんなに詳しくない私ですが、元は神に奉納する神事の一つだったということは多少知っていました。
取り組み前の四股は、昔は地鎮祭などに強い力士に四股を踏んでもらい、魔を避け、地を踏み固め、清めるという宗教儀式から来ているのだとか。
相撲は日本の伝統や文化、精神性を担って来たんですね。
世間を揺るがす事件は新しい変化の波がなだれ込む少し手前の時期に起こりましたね。
一般世間の目から見ると、横綱が格下力士に対して行った暴力事件。
けれど、特殊な古い相撲の社会や慣例からなのか、一般社会の感覚とは違った感覚に、人々の違和感が大きかったことから一層の注目を浴びることになったのかもしれません。
当初、マスコミは被害者の貴の岩に原因があるとしたようです。
フェイクな情報が先行し、胡散臭さが増し、かえって擁護どころではない感じに思えました。
日馬富士モンゴルのお姉さんって人、印象的でした。
そして、幕引きとも思える急な展開、真相もよくわからないまま、日馬富士が自主引退をします。
その会見では日馬富士さんがどれほどがんばって相撲を盛り上げてくれたか、伝わって来ました。
相撲だけでなく、日本や日本人のことが好きだと仰る言葉も偽りない真実と感じました。
きっと素晴らしい人柄で、周りの人々を愛し愛され、親しまれていらしたことでしょう。
ところが、疑問が残ります。
本人に対する謝罪や反省が伝わって来ないことです。
大きな怪我になるような暴力を行なったにも関わらず、礼儀・礼節などの言葉にこだわり、それでは自分は正義を貫いたと言っているように聞こえてしまいます。
ここまで一連の騒動を見て来た多くの日本人の気持ち。
引退会見を見て、多くの人は共感ではなくある種の不思議感を感じ始めたのではないでしょうか。
もう、これは理解できない国民的な考え方の違いなのかと思ったかもしれませんね。
急にモンゴル力士達の会がどうだとか言い始めマスコミと、
対照的な貴乃花親方の様子と、
それぞれ全く異なる見解を述べるテレビのコメンテーター達。
さあさあ、お茶の間でもあれこれ意見交換が始まります。
おじいちゃんも、おばあちゃんも、お父さん、お母さん、若者も子供たちも。。。
ね、あれってどういうことかな。
モンゴルではあれが普通なのかもしれないね。
日本人ってそもそもどういうことで相撲を始めたの?
相撲道は角道って言うんだね。
それって一体どんなことを伝えているのだろうね。。。
本人達を置き去りに色々な意見が飛び交う日本。
私が書きたいと思っているのは相撲界やマスコミのことではなく、この事件がスピリチュアルな出来事として起こされているのを感じております。
まるで日本の神々が上で手を引き、動かしているような感覚がしているのです。
私は相撲に詳しくないけれど、以前から貴乃花さんには不思議な魅力を感じていました。
彼の生き方、存在感から古き時代に本来の主神の位置から副神に変わられた真面目で厳しい正神の神様の性格のようなものを感じます。
その神様のように、沈黙しているからこそ、どこまでも真面目で真っ直ぐだからこそ、世間もマスコミもついつい彼の動向を注目してしまうのでしょう。
彼は改革者魂、インディゴの魂だと思います。
インディゴとはインディゴブルーの光線に乗って地球に生まれ、インディゴブルーの光の魂をもつ人達のことです。
改革を役割として不屈の精神と限りない純粋性、深い愛を持っています。
真面目でピュア、独特の表現力を誤解されやすいのです。
私の魂にもインディゴ部分があるので共鳴してしまうんでしょう。
今回、彼という人柄が、日本という国の文化や日本人の精神性について、私達に議論させ、考えさせ、見直す為のキーマンを果たしてくれていると思います。
私は日本人をさすがだとか、特別などとは思っていません。
他の国の人達や精神性を悪く言うつもりもありません。
他の国との個性の大きな違いについて知るべき時なのだと思います。
昨今の番組で、日本人が凄いという番組。
技術が凄い、気配りが凄い、繊細さが凄いと言って、それはそうですけど、目に見えている表面のことです。
わからないでいて卑屈になったり自信がない若者もいるので取り上げたり、昔からの伝統文化を大切にしようとなるのはとても大事と思いますけど。
日本人、凄い凄いとなりすぎて、我々は凄いんだと思っておごってしまうと逆に日本人らしくなくなってしまうかもしれません。
日本人らしさとは表には出ていないところにある、奥深さにあると思うんです。
そういう表だったところではないところに、ちゃんと思いが込められるのが《奥ゆかしい》って言葉にたどり着くのかなと。
そうした奥の配慮や込められた思いがちゃんと読み取れたり、表面より深いところに目が届く、
心眼が発達した国民性ではないかと思うのです。
《奥ゆかしい》を英語にするとmodesty控えめ、とかhumble謙虚…か。
控えめとは違いますよね。
そもそも、日本語は独特で奥が深いです。
奥を大事に、本当のこと、奥の本当の思いを大事にする。
別な表現で言えば、丁寧とか、祈りとか、思いやり。
逆に浅いことに対する批判に、あさましい、浅はか、と言う言葉になります。
私達日本人は物見好きというか、テレビ好き。
さらに人気の相撲起きた問題、話し好き、議論好きまで働いて。。。
私達は私達自身の本来の生き方、あり方を見つめて行こうとしているのかもしれません。
きっとそれぞれの意識出来ない高次元でお約束で、良い役、悪役、どちらともなく、ただその必要な役割をさせられているのだろうと感じてしまいます。
大きな力と、強靭な心、崇高な精神性。
これだけ兼ね備わった横綱がいたら、もうそのまんま生きる神様です。
私達の心の理想、神様みたいな横綱を論じ始めた日本人、私達。
論じて批判する前に、我が身を磨こうと思い始めたいものです。
お相撲さんを見ると、私は天照大神の岩戸をその剛力で開けて投げ飛ばした手力男命を思います。
奥に隠されていた本物の輝きが現れ出てくるのかもしれません。
私的には、一連の相撲騒動は、私達の奥にある精神性、そして光をこじ開けてくれているかのような、神様界からの動きに見えてきます。