新しい世界の物語 〜聖なる豊かさ〜

新しい地球での生き方を綴っていきます

アリマタヤのヨセフの物語 その2

アリマタヤのヨセフの最初のお話を書き始めてから随分経ってしまいました。
地味な作業なのに、私にとっては根気と集中力がかなり要る作業です。
加えて、このことが一体何になるかと言えばさっぱりわかりません。
何にもならないのではないかとも思っています。

それでも私にはなぜか、この人物と深い縁があると感じ、彼のことを知らないまま、素通りできない。
何かひっかりがあるのです。この人物が私の前世の1つではないか、などと思っています。

彼のことは知る人ぞ知る人物で、スピリチュアルな人やキリスト教アーサー王の伝説などにおいて知られていますが、その生涯は謎に包まれているのではないでしょうか。
それでも私なりに推察リーディングをし、なぜ彼のことがこんなに気になるのかを紐解いてみたいと思っています。
リーディングし、物語風に綴っていきながら、彼がどんな人物であったか。
そして、その人生で何を思い、どのように過ごしたのかを知ってみたいのです。
史書のような情報で知る由もなく、そこで自由に私が感じる内なる感覚を通し、彼の思いを感じ、それが私の中に関わっているのか、いないのか。探ってみたい・・・。

それを知ることで、私も古きをきっぱりと手放し、新しく前に進んでいける気がしています。リーディングは情報であり、エネルギー、何かの形で知る必要があって刻印してきてしまったように感じます。新しい年が始まる前に少しでも前に進むのに開き、ひも解いていかねばと思っているのです。


若者ヨセフが友人を介して出会ったのは、初めて会ったのにどこか懐かさを覚える人達。穏やかで物静かなその人たちの奥深い温かさは、心に灯をともすかのごとく、彼はその
人達に心惹かれた。
そして、その人たちの集う場所へと彼自ら足を運ぶようになっていった。
その会は“エッセネの集い”と言う名前で「正直者の集まり」だとか、「本当のことを大事にする」というような意味が込められていると聞かされた。

彼はその会に集う様々な人々との出会いや交流、そして彼らの行いを観察しながら、その新しい感覚が心地よく、ゆっくり用心深く近づきながらも、彼らのふるまいはとても好ましく、心地よくヨセフは急速に彼らの流儀を吸収していった。
第一印象として、彼らは穏やかで物静か。親切で互いに助け合う共同体だった。
彼らは質素や簡潔さ好み、真実や本当のことを大切にし、正直だった。
シンプルな言葉や明快さ、そして形式や決め事よりも物事の便宜性を優先させた。
古いしきたりや男女や年齢の差、身分や貧富の差も関係なく、平等で対等の関係で、それでいてもっと別なものが何よりも優先されるコミュニティだった。
そして、この社会では、友情、思いやり、純粋さ、そして叡智や人格に長けたものへの敬愛が重んじられているのがわかった。

本心の思いで言動する正直で誠実な人々が彼には好ましく、心地良かった。
そして彼はこのように考えた。
「人というのは本来、このように生きるものではないだろうか。」
彼は世の中がどうして嘘やまがい物にあふれ、形式や慣習ばかりにとらわれてしまったのかと疑問に思うようになった。
彼の生家は特権的な位をもつ名家で裕福だったので、他の多くの貧しいユダヤの人々以上に格式、儀礼的な慣習を重んじた。
家を継ぐ位置にある彼自身も豊かさの恩恵以上はさることながら、代々伝わる決め事や、名家の息子としての決めごとにはうんざりしていた。
しかし、貧しさに食べるものにも事欠く暮らしを目の当たりにすると、自分が恵まれている分のお返しを人々に対し、行う責任や宿命のようなものがあるような気がしていた。

そして今、彼は新しい価値観や生き方でともに助け合っている人々のグループを目にし、「これが本来あるべきあり方だ。」と思いながら同時に、彼らのもつ教義のようなものを学び吸収し、自分も他の人々に伝えられるようになり、未来の人たちが住みやすい世界を作る礎の一つになろうと考えるようになった。

ヨセフが出会ったこの新しい価値観をもつ人々は後にエッセネ派として知られる。
彼らの教えは実は古代から続くレムリアやアトランティス古代エジプトでも伝えられた生命の秘儀とも繋がる大変古い教えであった。

ヨセフは厳格な父からユダヤ教の教えを叩き込まれる一方で、秘密裡に熱心にエッセネの教えを学んでいった。
両者の教えは相通じるところもあったが、片方は形式や儀礼法を重んじ、もう片方は自由さや本来のあり方(幸福)に通じていくための不思議な技法のようなものを重んじた。
特定の祈りやマントラ、瞑想やヨガのようなものを通じて、内なる神である魂と繋がる手法を彼らの重要な教義として伝えていた。
さらには若返りや不老不死といった奥儀もあったが、その前段階にある人としての基本的なあり方に関する、すべての教えをマスターすることが前提であった。
愛と神への帰心と霊的な知性の三大元素がバランスよく安定するようになったところに、さらに恐れを克服することがその上に課せられるのだった。

ヨセフは20代のうちにエッセネの教義をほとんどマスターし、やがて最終奥儀に向けての準備に向け、修練に没頭した。
夜、砂漠の岩山で彼は何時間も瞑想し、昼は名家を担う次期当主として常識あるふるまいをした。彼にとってはどちらも嘘や偽りないことで、自己と他者との平和と調和にとって必要かつ自然なことであった。
エッセネの教義にとって平和や調和、自然であることは重要なことであったので、彼はそのことを大切に守り、極めて霊的な世界と現実的世界、二極の自身をバランスよく生きた。

それは彼が20代後半を迎えたある日のこと。彼は変わりなく淡々と2つの世界をこなす日々だったが、突然、エッセネから最終イニシエーションの知らせなるものが届けられた。

特殊な儀式を伴う秘儀を授かるイニシエートの一人として選ばれたのだった。選ばれたといっても大勢の中からではない。エッセネの教えを求めるもの自体が少数であり、ヨセフは裕福で素直な坊ちゃん気質、感性のまま没入し、急速に吸収していったのだった。
秘儀の伝授には精神、時に命に関わる可能性もあるというものもいた。楽観的な彼はこの招待を幸運なことと受け止め、迷うことなくその日を迎えた。
秘儀、イニシエーションはこの世界の常識の枠を超え、輪廻転生の枠をも超え、永遠に生きるための生命の教え、とのみ記してしておこう。
エジプトの壁画に出て来る生命の象徴、アンク(体内の生命エネルギーを高める)が特定の修練に使われたり、スギライトのような紫色の石を口にくわえたことを思い出す。
彼はこのイニシエーションを終え、再び普通の毎日に戻っていったが、この時から後身の導師の役割を任されるようになった。これが彼のアデプトへの道の始まりとなる。

彼はある時、エッセネの長老から重要な任務を頼まれた。あるものと旅に行くようにと。ヨセフより若干、年下のその青年について、彼はとある重要な使命をもっていると長老は言った。
若者の名はイエシュアといい、後にイエス・キリストとして世界中に知られることとなる。
彼もエッセネの新しいメンバーとしてエッセネの教えを学んでいるところで、彼の父と母もエッセネのイニシエート(習得者)であった。

2人の旅は遠く離れた重要な地にゆくことで、そこに行くのには馬も徒歩も必要なかった。彼らは体を伴わない意識の旅ができた。共に岩山や森に入り、その場所からエジプトのアレクサンドリア図書館、ブリテン島のアヴァロン、そしてヒマラヤの奥地にあるマスターたちのサンクチュアリ、秘密のコードの眠るマダガスカル島など数カ所に共に渡った。
それは極めてリアルに感じる瞑想のライトボディの旅だった。
1人で行く、ライトボディでの旅は夢想とリアルの間に感じられるが、強力な意識を働かせる2人が行うなら確かな現実体験を伴うリアルな旅そのものとなった。
意識を同じ場所に向けると、彼らは突然、その地に現れ、現地にいる人々と交わり、そこに行った痕跡を残す。彼らと出会った人々は実際に存在している人間と接しているとしか思わない。
アレクサンドリア図書館では光の存在達が彼らのようにライトボディだけで、そこを訪れていた。

(続く)

アリマタヤのヨセフ  リーディング・ストーリー  その1

まだ子供たちが幼かった頃、私はちょうどクリスマスの日に家族で旅行を計画しました。

今から20年くらい前のことです。

そして、その旅行のもう一つの目的は名古屋にいる憧れの女性ヒーラーにオーラソーマ・リーディングをしてもらうことでした。

その時、私が選んだボトルは透明色とピンクからなる『エッセネボトル』(花の鎖 B11)でした。

エッセネ派とは紀元前2世紀から紀元前1世紀にかけて存在したユダヤ教の一派のことです。)

そして誕生日ボトルを割り出してもらうとイエローとグリーンの『ゲッセマネの園』(B7)でした。

クリスマスの日、どちらもイエス・キリストにまつわる名前と思ったので、

「なんだかどちらも、イエスキリストに関係する名前のボトルみたい。」とつぶやいた私。

「ええ、そうですよ。だからクリスマスの日にいらしたのでしょう?」と不思議なことを仰るYさん。

思い返すと、その時来ていた服も大きなチェック柄の真っ赤なシャツでした。(赤はキリストのカラー)

その時、いくつかの過去世をリーディングしてもらいましたが、それらの偶然の一致のせいでしょうか。

私はイエス・キリストの時代を生きていたことがあるそうで、しかも弟子の1人だったと言うのです。

さらにはイエス・キリストが最後の晩餐のあと、自身の過酷な運命を予知して苦しみ神に祈っていた『ゲッセマネの園』でも一緒にいたと言うのです。

いくらYさんが仰るにしても、ボトルが一致しているだけでそんな調子のいい話、あるわけがないと思いました。

そのリーディングと私の頭の知識が合わなかったためなのかもしれません。

私は禅宗のお寺が実家だし、神社が家の隣だったので神社にもなじみが深いのですが、キリスト教にもどこか縁を感じるものはありました。

子供の時から宗教と言うものに関心が深くて、父親がおそらく私が本に関心をもつように用意していたのでしょう。

世界の歴史やおとぎ話を一同に集めた、やたら分厚い本の中に、様々な宗教の教祖の物語も含まれていました。

子供向けの本ながら、旧約聖書やキリストの物語もいくつも含まれていて、私はそれらを何度も何度も飽きることなく繰り返し読んでいました。

そして、言われてみれば、確かにあの時代にいたと言うのはそうかもしれないという感覚はある・・。

でも、弟子の1人だったと言われると当時私は弟子と言うのは12使徒しか知らなかったので、それがピンと来なかったのです。

まして、ゲッセマネの園で師であるイエスがローマ兵につかまって連れ去られていく場面で、恐れや哀しみにおののく弟子たち、
そんな自分の姿も想像できませんでした。

私の感覚では確かにあの時代にいたかもしれないけど、それは、この地球の壮大な歴史の重大なストーりーを観察するかのような何かであった気がして、それでちょっぴり腑に落ちず。

そして、それ以上、ヒーラーYさんも詳しいことは言及しませんでした。

今なら彼女のリーディングが素晴らしかったこと、完全に合っていたのがわかります。

その後しばらく私は、一体どの弟子だったんだろう?トマスだった?それともペテロ?なんてこととか、

果たしてほんとにそうだったのか?なんてことをれこれ考えてしまったものです。

結局、いつしかこのリーディングもすっかり忘れてしまいます。。。


思い返せば、輝いている素敵な人として、とても憧れていたYさんのリーディングですら、半信半疑で疑っていた私でした。

でも、不思議なシンクロも重なり、妙に説得力があったのも確かでした。


私もいつか人様をリーディングできるようになって、気づきと解放で楽にできたらと思うきっかけを下さった方のお一人でした。
いつしか色んな時を経て、私自身がスピリチュアル・セラピストになっていました。

そして、リーディングが他の人に向くようになると、そこで出てくる色んな物語を目のあたりにするのに満足してしまい、幼いころから抱いてきた、自分が何者であるかという問いさえすっかり忘れかけていました。

そして、いつしか人生に足止めをくらうような時期を迎え、意識が内側に向くようになって、ようやく人生の序章にしか過ぎなかった、あの頃を思い出し、メッセージと一致する謎解きができてきたのです。

それが、イエスキリストの隠れた弟子と言われるアリマタヤのヨセフのことでした。

彼にまつわる重要なメッセージはその旅でもう一人のヒーラーにも言及されています。

「あなたの宇宙名は聖杯よ。」と。

ここからは私のリーディングによるアリマタヤのヨセフというキリスト教の聖人の1人の物語です。

私の感覚から出てきたことを書き綴るので、かなり奇想天外であったりするかもしれないし、ここにはなんら歴史的根拠はありません。

キリスト教信奉者の方々が気分を害さないよう、おとぎ話と受け取って頂ければと思っています。


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アリマタヤのヨセフは物心がつく頃から新しい世界を求めていた。

彼が求めるその世界は、誰もが心の良心に従って生きており、正直な気持ちをそのまま表せる世界。

そして、何物にも代えがたいほど、その世界の住人は奥から溢れる真の喜びというものに満たされており、その喜びの感覚のもと、誰もが幸福に生きている。

彼がその世界を求めるのは生来の心の持ち癖だったが、それがいつかこの世界にかなう為にはまずはあ自分自身が生涯、自身の偽らざる心に正直に生きることだと感覚的に知っており、それを実行して生きた。

ただ、彼はどれほど自身の心に正直に生きたとしても、人としての道を踏み外すことなどなく、ただ自身の良心に忠実に生きるといったことの表現だった。


周囲からみれば、時折、夢見がちな目をしてボーっとした様子をみせる不思議なところはあるが、おとなしくて落ち着いた子供であったし、彼の両親は裕福で土地の有力者でもあった。


とはいえ、ユダヤの人々の古来からの土地すでに他民族の侵略にあってきたし、今はローマの監視下におかれている。

ヨセフの父はローマの指揮下にある、ユダヤの評議会の一員で、そこで決まったことを地元の人たちに伝えたり、法以上に重要視されてきた、ユダヤ人としての教えをとりしきるユダヤ教の長老会とも通じる立場だった。

だから、近所の人々は彼に少しばかり風変りなところがあろうと、それを問題にしたり悪く言うものはいなかった。


世間ではローマの圧政に苦労が絶えない暮らしが主流で、人々は自分たちの暮らしを救ってくれる予言の人、救世主の現れを待ち望んでいた。

しかし、ヨセフはそんな世の中の空気とは相反するように、純粋培養のような、ちょっとした世間知らずのお坊ちゃん育ちではなかったかと思う。

彼は1本の花やそこに止まる一匹の虫にも深い生命の意味があると感嘆して、その生命のありかを見つけようとするようなところがあった。

その生命の元がどこからやってくるのか、そしてどこに宿っていて、またどこの還っていくのか考える性質の持ち主だった。

ヨセフは青年期に至るまで大きな障害や苦労を知らず、ユダヤの教えを学び、自身も父の仕事を受け継ぐための準備をしつつも、心の奥の求めにあらがえないでいた。

彼が真に求めてやまないのは、生と死にまつわる教えであり、たとえこの世に沢山の生と死が繰り返されても決して変わることのない永遠の教えであった。

あヨセフは青年になると自分は人とは何かが違っていることや、世の中の人たちとずれている部分を補うためにはもっと他の人たちと通じ合う必要があると感じていた。

彼の境遇は恵まれていたれど、その分多くの世の人々との間には垣根があって彼らの生活事情にも疎かったし、それまであまり関心もなかった。

いつも空想の中に意識を投じていたし、それ以外にはユダヤの伝統的なしきたりの世界への準備を重ねる日々。

同じ年頃で本音を言い合える友人や仲間などはいないに等しかったのだ。

唯一、使用人で家族に尽くしてくれる一家の息子とは年も近く、幼いころから親しくしてきた。

そこである時、思い切って彼に打ち明けたのだった。

ユダヤ人の階級社会は全く息が詰まるよ。上の人たちは厳格で、彼らとの会話では本心からの言葉が言えないんだ。もっと普通の人たちと気兼ねない話がしたいんだよ。」

するとその青年は言った。

「今、この国の大人たちはみんな本音で語り合うのを諦めているよ。この難しい世俗を生き抜くためだよ。ただ、ぼくには唯一本当の気持ちが話せる特別な仲間たちがいるんだ。素晴らしい人たちだから、きみも会ってみるかい?」

そして、ある時、ヨセフはその知人を通じて不思議な雰囲気をたたえた人たちに出会った。

年はかなり上だと思う、その人たちは質素な身なりに、あまり多くを食べていないだろう、やせ気味の体、そこは他のユダヤ人と変わらない。

彼らが浮かべる表情は苦汁を含んだような他の人々のものと違い、静かに微笑み、、内側の温かさを現していたし、慌ただしく追われるように常に動いている人々とは違い、じっと椅子に座って自分に穏やかなまなざしを向けていた。

そして、そのまなざしは安らぎに満ちているようだった。

彼は、この人たちが何か特別な秘密の魔法をもっているのなら、自分もそれを知りたいと思うほどに強く惹きつけられたのだった。

新しい世界が始まる前に言っておきたい独り言

この更新までに随分時間が経ってしまいました。


これは私自身が長い間、現実をさまよい歩いていたからだと思います。

このブログを通してあることを書くように内なる魂や、ハイアーセルフである女神アストレアからどんなに促されても、このブログを書くことが大事だとはどうしても思えませんでした。

そんなことより、日々を生きるために必要と思うことに従って必死に生きていました。

だって、この世界ではそれが当然、当たり前なのだから。。。


そうして、私は私が頭の世界で敷いたレールの上を行ったり来たりする慌ただしい毎日を過ごしてきました。

順調というか、色々あってもしなやかに乗り越えれるし、その術を知っていると思っていました。


基本、いい人との出会いにに恵まれて問題のあるような人間関係も魔法の言葉であれよあれよと乗り越えて。



それでも、何か壁にぶつかるように悩むこと、必要に迫られることがあって、内側と向き合うと、その度に再三、魂から必要な道を行くように強く訴えられる。

それが、おかしな話にきこえるけれど、「新しい世界について書くように、なぜならあなたは新しい世界から来たのだから。」と。

実はその記憶は多々思い当るのです。

新しい世界からこちらの世界にやってきたのはまだうら若き(にみえる)女性でした。


おそらくその人は私の前世群のうち、最重要な前世だったのかもしれないくらい、その人であった時の強い記憶が残っているのです。

その人はなんらかの使命を帯びてこちら側にやってきたということも覚えています。

ただ、それがなんだったのか・・・多分新しい世界(新しい地球)に関することだと思います。


じゃあ、そうならばと重い腰をあげてはみるものの。。



なのに、私はどこかでそんなもの、非生産的だし、非現実的だし、第一、一体そのことにどんなゴールがあるの⋯、という本音。

だって、どっちが幻想なの。

ここは現実。人間の世界。

そして、私は人間だもの。。。


そうして、私はまたいつもの振り出しに戻る。

気づけば内なる魂の訴えなどは脇にどけ、頭の私が良いと思う道、常識的でまともだと思える道を選び、目の前の忙しさに追われる日々を過ごしていました。


現実を生きるのにやっぱり必要なのはお金だから。

ずっとライフワークとして関わり続けて自分と切り離すことができないと思う、スピリチュアルの仕事は生涯ワーク。

それを仕事として時給換算すれば割がいいけれど、お金を稼ぐための仕事として向き合うとたちまち立ち回らなくなるのはこれまで何度も経験済み。


本当はこれが私にとってメインのライフワークだとわかってはいつつも、メインにするとなぜだか進まなくなる・・。


だから、生きるのに大事なこととして脇に抱えもち、他の仕事を日常のメインにという形で何年も過ごしてきました。

その間、思い返せば不思議だけど「大きい脇」という名前の土地で過ごしました。


あれもこれもと興味をもち、携わってきた仕事はいくつもありすぎて恥ずかしくて書けないくらい。

それに、どれもこれもメインの方にも何かを還元できるだろうと考えて携わってきた仕事でもある。


そして、次なる方向は若い頃の仕事経験から勝手に思っていた、「教えること」と「子供に関すること」に関しては時給という効率も考えて。

教えることは性にあっているようでやり甲斐も見い出せたけど、受験とか学力アップという点にはストレスも感じました。


そんな私が最終的に日常の中心に置いたのは児童福祉の仕事でした。

お金を稼ぐのに一日の大半を労働にあてるなら、好きで得意なジャンルで、そこにやりがいや学びまでもらえる可能性を感じたのです。

このジャンルに携われたことは大正解、振り返れば何度も導きビジョンにも何度も出てきていました(エプロンをした保母さんみたいな姿の図)。

障害のある子供たちの発達や成長に携わるこの仕事は、学びややり甲斐だけでなく、感動や喜びにも出会える素晴らしいものでした。

もちろん、大変さはその光の部分の倍以上あったように思いますが、ほとんどの場合、光の方がずっと大きく感じられました。

障害の軽い子も重い子も、そして明るい光を放つ発達障害ニューエイジチルドレンにも何人も出会いましたし、体の障害で動けない子、知的障害が重く話せない子も多くいました。

重い自閉症や知的障害で言葉のやり取りができなくても、彼らには考えがあり、感情があり、独自の自己表現があり、それは計算がなくまっすぐなのでした。

大人しい子もいれば、荒れたり、ひねくれたような表現をする子達の中にも触れ合ううちにその奥の気持ちが見えてくる。

それは大人よりもわかりやすく伝わってくるし、彼らはとても純粋な意識をもっていて、その部分で交流していくようになっていくから、言葉など交わせなくても触れ合い、遊び、共感し、笑ったり、真剣に向き合ったり、の日々。

私はこれで、お金を稼ぐための仕事として本当にやり甲斐のある仕事を見つけられたと思ったのです。

さらに児童福祉の仕事がオフのときにはスピリチュアルな仕事。

そして合間に家庭のお仕事。かなり、適当にしかやれませんでしたが。


障害児ケアの世界は時としてスピードが必要とされる分野でもあります。

手早くこなさないと、大変なハプニングが起きてしまうことにもなりかねない。


のんびり体質の私が柄にもなく、その場所を居場所だと信じ、何年か過ごしてきました。

ところが、2足のわらじ生活(本当はもっと?)も当たり前になってきたある時、突然もうこの世界は終了~と思う気持ちがやってきました。


直接の原因は最後に勤めた職場でのストレスで体調を崩してからようやく、

「あれ、私の生き方って何かおかしくない?」と感じるようになったのが幕引きの始まりでした。


福祉の世界にしばらく身を置くにつれて、理想を抱いてしまい、より良い場所を求めようとしたのがきっかけでした。

つまらない我欲が出たんでしょうけれど、それより何よりその世界や、フルスピードな生き方の世界そのものが私の本当の居場所ではなかったのだと思います。


仕事のジャンルがどうとかいう以前に生きる姿勢の問題。


生まれ育った時代背景、環境、親、結婚、子育てや家庭生活を経て、

色んな環境の中でこれしかないと思ってやってきた生き方に、なにかおかしい、変だぞとようやく思うようになったのです。


ずっと自分なりにあっちにもこっちにも動き回って一生懸命生きているのに、なぜだか、「これしかできない」とか、「ここまでで精いっぱい」みたいな強い制限の限界思考に縛られているのです。


最後の児童福祉の職場を退職することに決めてからも、頭はまだスピの仕事のサイドに福祉ではない別の仕事を見つけよう、などとうすぼんやり思い浮かべていました。

けれど、体の方は「頭が命じるよりも前にハートがやりたいと思うことをまず、することにする」という姿勢にシフトチェンジしていたのです。


体調を崩して退職するという理由が一つにはあったにも関わらず、引っ越しをし、そこで早速スピのお仕事開始。

ほどなくして退職を迎えると、まもなくもう一つソーホー用の仕事部屋を借り、スピリチュアルな仕事をメイン事業にするための展開をすすめています。

長年、仕事の変化はあれど典型的な動きしかできなかった私にしてみれば、ここ数か月、まるで軽業師のような動きで進んできました。

その上、皆さんに甘えるという技をいつのまにか行使できるようになり、(齢を重ねて不敵な中高年になったのですね。。)自分の裏ワザに呆れ驚きながらも、曲芸綱渡りは順調に進み。。。

そして、新しい場所での滑り出しも奇跡的だったのです。


まるでこれが答えだ、この道一本にすることが正解だった、とでもいうように。

じゃあ、これまでものすごい遠回りをしてきたのか、などと考えてはみても、いやいやそんなはずはあるまい、とも思う。


物事はそんな単純じゃないですよ。

なんだか、客足にもそろそろストップがかかってきているし。。。

おやまた壁?


結局、この先何度壁にあたっても、内側に促されることはおそらく、多分、一つのことなのです。

長年ずっと脇にどけて、無視し続けてきたことだけれど。。


この先がどうなるかなんてわからないけど、私はこれまでの経験史上、最も不安のない状態で今、このブログに立ち向かえている。

立ち向かうっていうのは大げさだけど、毎回雲をつかむみたいなことが目の前にあって、エイッと本気を出さないとまた脇道に逃げたくなるだろう。


でも、やっと自分の居場所らしいところに落ち着けて、穏やかな気持ちで向かえているのです。

これだけでも、ずっと大きな進歩なのです。


今まで私自身、発達障害ADHD的傾向があって、おっちょこちょいだし、色々と意識から欠落してしまう。

それにどれほど気忙しく多動であったかと思うし、それに比して本当に奥の大事なことはあまりやれてきたとは思えないし。


考えてみれば、現代人はみんな慌ただしく多動過ぎて、自己の内側を顧みる暇もなく、本来あるべき位置や本当に自分らしい生き方に向き合おうなんてしないでいるのが常かもしれないとも思ったりする。

さんざん慌ただしく生きてきた、この私が言うのも生意気ですが。


次からのブログでは、以前途中になっていたアリマタヤのヨセフの生涯について、私の個性あふれるスピリチュアルリーディングで紡ぎだしてみたいと思います。

なぜヨセフにこだわるのかと言えば、彼はかのイエス・キリストを埋葬し、イギリスに聖杯伝説をもたらした聖人であり、私の読み(リーディング)で私の前身(過去世)であり、私の人生にとても大きな影響をもたらしていると感じるから。


私は20年以上前に高名なスピリチュアル・リーダーにみてもらった宇宙名が「聖杯」だと言われたことがあります。

そもそも宇宙名ってなんだろう・・・。


だけど当時は「なぜ、私の宇宙名は聖杯なのだろう、一体、聖杯とは何だろう」なんてことが気になって仕方ありませんでした。

その頃、支持していた先生に尋ねると「なら、アーサー王の伝説を読みなさい。」と言われ、読めども謎はちっとも解けないまま時は過ぎていきました。


そう、前述の慌ただしく疾走するような日々を何年も重ねて。。


そして、今年に入って、私はスピリチュアルの仕事を進めるうち、特定の人には封印解放ワークをほどこす必要性を見つけて、呪詛や契約をはずしにかかるようになりました。

お客様が封印を解放をされていくのを見ながら、自分自身の小さい呪詛もいくつか取り外してきたのです。


ところが、自身にかかる厄介な契約がどうしてもはずせない。

はずせないようにヴェールにかかっていて全容が見えない。

前世における意識の大きな誰かが決めてきた強い祈念であり、契約ということになっているだろうとわかり、

さらにおそらくその犯人はアリマタヤのヨセフだろうと。


それらに気づいたのが今年の中ごろ。

ヨセフがその人生で祈念したことが私に大きくかかってきているから、いつもわからない形の促しがやってくるのだと気づいたし、結論づいた。。。


そして。。。


あらゆるタイプの呪詛や契約の中でもこれはやらないと解けないタイプの決め事だと私なりに悟ってきました。

そんなわけで、私の独り言みたいなこのブログ、再開しました。


興味をもって読んでいただければ幸いです。


多分、この先もっと不思議な独り言になるかと思いますが、よろしければお付き合いよろしくお願いいたします。

アリマタヤのヨセフ その2

今、新型コロナウィルスが世間を騒がせている。

そのことがこの先どのように世の中に影響を及ぼすか、私は口で言うほどあまり関心がなく…。

でも、さすがに巷で様々なことがすぐ身の回りで起きているのを感じると、さすがの呑気な私でもこの先は白と黒が五分五分のように感じ始めてきて、何もしないではいられない気になっている。

そして、そういうことがきっかけとなって私達は光を意識して働くことのだという言葉を思い出す…

ずっと以前にもジュセリーノさんと言う預言者による地震予知の騒動があって、身の回りの人達がこぞってトイレットペーパーや水を買いだめに走っていく様子を目にすることがあった。

そして、その恐れのエネルギーを感じた私達(瞑想会の仲間たち)は光のワークを急ぎ行うことにしたのだった。

慌しい感覚が私にも伝わって、一体これはなんなのだろう…と考えながら車を走らせていると、

すると…当時いつもアドバイス・メッセージをくれていたアシュタールが、

そのようなことのおかげで、あなた達は光のワークをすべきことを思い出せるのですよ。

まるで良かったですね、と言うように伝えて来た。


当時は皆で地球を光で包むライトワークだった。

今、私と仲間の皆さんで行うライトワークは、皆の心を調和させ、大自然とのワンネスのエネルギーとのハーモニーで行う『ワンネス・リトリート』として少しずつ変化してはいるものの、その中に当時のライトワークを行うこともある。


そして、ライトワークとは違うのは、ワンネス・リトリートは今だ!と判らせられるような、まるで宇宙にさせられるみたいな流れで行うようになっている。


今回はワンネス・リトリートのようにはっきりとはピンとこなかったけれども、以前のライトワークの頃のように、このコロナウィルスがきっかけなのかもしれない、

宇宙や宇宙連合、アシュタールのような高次元マスター達が仕向けている作戦のような(不謹慎な表現ですみません)感さえしてくる。

ワンネス・リトリートとしては、この3月30日にとり行おうと計画している。


毎回そうなのだけど、『ワンネス・リトリート』のワークは何か悪い物事を浄化するとか、悪を取り除くような目的のものには決してならない。


結局、物事は必要なものがあるだけで、その奥にある本当のことを見つめて、出来事の奥に原因や痛みなどを自身の中にも感じながら理解し、癒し、解放し、そして大自然とハーモニーして、感謝とともに大きな意図を感じながらその新しい世界と融合し、それを体感していく。


リーディングでは、この世界を覆うスモッグのような今回の騒ぎは、その先の新しい世界を開くための大事な役割がある、と言う。


まさに、今回のリトリートもそのような調和に満ちた、いつものワークになるのを感じるし、
またこのような騒動が起きている今だからこそ、地球は、宇宙は本気で新しい世界を地球は自身の中に開き起こそうとしているのがわかってくる。

そして…、

その前に個々にもその新しい世界は何らかの形で問題か何かをきっかけに新しくて本来あるべきものへと開けてきているはず。


かく言う私には、なぜだか、かなり以前に私の象徴でサインのようであった『聖杯』=アリマタヤのヨセフと再会するような出来事があった。


前回書いた、素晴らしいお土産のことです。


アリマタヤのヨセフさん。

彼の存在をここにきて、再確認するのは私にとってどのような意味があるのか。。

そう。
同じ公式が当てはまる。


私自身が古いあり方を脱ぎ捨て、新しい世界に移行するためなのだと思う。

私自身、無意識に古い世界でのサインを聖なる秘密の宝のように、後生だいじに抱いて来たのかもしれなくて、

その聖なるサイン、そのエネルギーを自身の中から解放するときに来ているように感じている。


同時に古いサインを新しいサインである、新しい夜明けのサインに変えることもできそうだ。
新しい宇宙の名前がそのような意味なのです。


解放をするために、あえて、私は不思議に満ちたキリスト教の聖人、アリマタヤのヨセフについて、
改めて私リーディングも含めて見つめてみようと思い、私にとっては少しマニアックな方の、こちらのブログに書いている。


https://msp.c.yimg.jp/puffer?x=320&y=418&q=YaaDOAQXyLFSp6RPKnzP_ESxItdYk.aZed0yw9Zmd91bbHbsKbTZcJ1O_ty1wz..bXjZvvMhvdbZ9XoR5BvBf8RYbvXA4rjKv3z_izVrnu4-


まだ、次に続きます。


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アリマタヤのヨセフ

先日イギリスに旅行に行かれた友達から沢山の素晴らしい贈り物を頂いた。

以前から気になっていて行きたいと憧れていたグラストンベリーやチャリスウェルなどの世界有数の聖地で手に入れられたお土産の数々。

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美しい色彩のタロットカード、バッチフラワーのエッセンス、チャリスウェルの聖水、洗練された絵柄のルーミーのオラクルカード。

それらを開くにつれ、感動的な気持ちになり感謝と同時に何度か鳥肌まで立った。

本当に行きたかった場所のエネルギーに触れたからなのか…

こんなに心のこもった贈り物に感動したからだろうか。

きっと両方の理由なのかもしれない。

その聖地にいつか行きたいと強く思っていた時期があった。

これらの鳥肌ものの素晴らしい贈り物に触れて、もう既にその願いが叶ってしまったような感覚さえ覚えてしまう。

私がはるか、イギリスの聖地、グラストンベリーに行きたかった理由。
それは私の魂に由来する様々なパズルのピースが当てはまる場所だと感じていたから。

あれはどれほど前のことだったか。

リーディングも上達していない頃、自分なりに神との対話を試していた頃。

親しくしていた友人が一早く意識を開いて、スピリチュアルな仕事を開業し始めて、私もそれがどういうことなのか興味深々で彼女を尋ねた。

一応セッションを依頼しつつ、私はやたらと自分のスピリットの過去世の旅の有名どころがあるのか、ないのか彼女にぶしつけな質問を投げかけていた。

どうやら…
あんまり有名どころはいないようだ。

それでもいたらなら誰か知りたい、というミーハーで自己満足なノリでさらに自分のことを知りたいと食いついてみると…まあ、少しは出て来て、
アトランティスの王女だとか、
どこかの総理大臣だとか。


また、イエス・キリストの時代、自身でも何故かその頃に生きていたと感じるのだが、その時の自分が何者なのかと名前を問うと、自分のリーディングではヨセフとか、ジョーゼフと出てくる。
彼女にそれはあってる?と質問した。

すると、ヨセフの過去世は正解、ヨセフとジョーゼフは同じ名前で、イスラエル語や英語読みで異なる発音になるよね、と言われた。

他にも十二使徒のトマスという名前も出てきたけど、それも確かに一部入ってるね、一部ね。 

あ、そうね、一部か。

ヨセフについては何故か印象に残った。

それはキリストの父のヨセフ?

どうもそれとは違うようだった。

ある時、クリスマスの日に家族で旅行に出発し、私のわがままで名古屋の有名なヒーラーのセッションを家族で受けてから三重でクリスマスを迎えることにした。

そのヒーラーさんはオーラソーマボトルを使ってリーディングをしてくれる方で、私が選んだボトルはゲッセマネの園、やエッセネ派のボトルが含まれていた。


そして、「あなたにはキリストに関係がある前世があってその前世が現世に強く影響を与えている。」と言われた。

「え?私の実家はお寺なのにキリスト?」と尋ねたけど、

「そうですよ、だって今日はクリスマス。」

エスとともにゲッセマネの園にいた人物で、しかもエッセネ派という宗教をやっていたらしい。

そこから再び浮上した、もう一人のヨセフの存在

その、もう一人のヨセフはキリストの側にいた存在らしいので彼について自身でよく調べてみることにした。

キリストの物語には父親と、もう一人のヨセフなる人物がいて、
その人物は十字架にはり付けになったイエスの身体を譲り受け、キリストの血を聖杯に受けて、その身体を墓に弔った人物で、アリマタヤのヨセフとして知られている。
また、イギリスにキリスト教を根付かせたキリスト教の聖人でもあった。 

また、その旅であったか後の旅であったか。

私はまた京都への旅行ついでに別の方のセッションを受けた。

その時にあなたの宇宙名は、と教えてくださるのだが、
「聖なる器(聖杯)」と教えられる。

そこから妙な結びつきがあるのだが、アリマタヤのヨセフはキリストの血を受けた聖杯を持ち、ブリテン島(現在のイギリス)に渡り、とある井戸にそれを投げこんだとされている(この聖杯の行方については様々な説がある)。

そして、今回お土産として聖水を頂いたチャリス・ウェルの井戸がその場所だとされている。

そうした以前の様々なセッションを通して、アリマタヤのヨセフという歴史にいて、

その存在が私に何か深い関係があるのではないか、と長年思ってきた。

にも関わらず、いつの間にやら、かなり長いこと忘れてしまってもいた。

今回のグラストンベリーのお土産を頂き、久しぶりにそのことを思い出し、感慨深げに感じたことは間違いない。

今はそれをお土産をきっかけに強く思い出している。

何か不思議。
これには何か意味があるのかしら。

私のワークには聖杯ヒーリングという名前のヒーリングと、マナの泉という、不思議なエネルギーが湧き出す泉
をイメージした屋号とが、やはり繋がっていると感じる。

でも、さらに不思議なことに、今の私は進化したようでリーディングを仕事にし、
さらに自分のことも当然リーディングし、

そして、今の私の宇宙名はもはや『聖杯』ではないらしいとも出てきている。

どんな名前になっているかは内緒。

でも、今回、これらの数々が大切なことを思い出し、さらにそれがどんな意味があるのかと、
私なりにリーディングしてみたら。

なんと。

それが今にとても重要なのだと思わずにはいられない。

なので、長年心に秘めていたことをここに書いてみている。

おそらく長くなるので次のブログに続きます。


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アセンションに移行する人々について

ヒプノセラピーハイアーセルフとつながっているクライアントさんにこんな質問を投げかけてみました。

現在の人類の何割が地球のアセンションに乗っていけるのは何割ですか?、と。

最初の言葉はすんなりと「5割」と答えられました。

しかしその後、

「その後残った人類の中でアセンションしたい人達はアセンションし、地球のような3次元体験を続けたい人達は再び転生をやり直す。なので、最終的にアセンションする人達の割合はもっと高い。」と答えました。

とても興味深い話だと思いましたので、改めて私のハイアーセルフにきいてみることにしました。


私達のエネルギーは新しい方向に移行しようとして、随分経つ。

しかし、実際にアセンションの方向に意識をしているのは人類のうち、ほんのわずかだ。

それでも私達は新しい方へ、新しい方の地球へ移行する。

その時私達の多くは3次元地球に留まり、ほんの僅かな人々(数パーセント)新しい地球と往き来できるようなる。

それは天から降り注ぐ、源からの新しい光のもとに自己を開き、さらに、自己の内から新しい地球の光で自分を照らし出すことができた人達、

それは本当の自分を見つけた人々ということになるのだが、

その人達は自ずと自己の中から出てくる光により、自然と自らをコントロールしていた、この世の光を超越して、本当の光をこの世に現し出していく。


そのことによって、この世に起きるあらゆる事象を超越してゆき、

この世の悩みも簡単に乗り越えていき、自身のワールドを本当の世界へ塗り替えていく。


それで、私達の世界は新しい光のもと、新しく生まれ出た新世界の真人達により、新しい次元へと少しずつ塗り替えられていく。

それでもまだまだ本当の世界には程遠く、新しく生まれ出た人々の中からはすでに本当の世界(新しい地球=シャンバラ次元)と現地球とを行き来することの方が生きるのにたやすくなり、往来が頻繁に行われるようになると、そのことにより、新しい地球の空気が現地球に流れるようになってくる。

そのことから多くの人々がアセンションの方向に意識を向けるようになり、アセンションに向けて本当に自身も行きたいと思うようになる。

そのことで多くの人々がアセンションに向けて進み出す。

それはこの世界という一つのワールドから新しいワールドへ、完全に移行するための大きなうねり、新しい世界への大きなエネルギー移行を生み出す。

それが第一次アセンションであり、それはいち早く生まれた光の人々によりもたらされ、それによって集合意識に大きなうねりが起き、もたらされる。

およそ、人類の半分の人々がその方に移行しようとするだろう。

また、残りの半数の人々が新しい方の地球を意識しては移行しようとする人々と本当にまだ3次元地球を探索しようとする人々との違いが出てくるだろう。

新しい地球へ移行しようとする人々の中にはある程度、その進化の度合いにより、本当の世界に移行する人々とその分化である、パラレルに移行する人々がいる。

本当の世界に移行する人達が多ければ多いほど、この地球は分裂化を防ぐことができ、新たな移行をもたらした人々(光の人々)の中にも、本当の世界から来た人々がいるが、そのこと(パラレル分化)を防ぐよう、世界からもたらされた者たちもいる。

そのことを防ぐように、もたらされた人々のうちには、新しい本当の世界が、本当の地球の大いなる未来の礎を担っていることをハートで熟知しているので、

本当の地球へより多くの人々をもたらすことが極めて重要なのだということを世界より、密命を帯び、よくわかっている。

だから、この世界が移行するとき、本当の世界をあらわすための重要な力が発揮できるよう、新しい地球のエネルギーをこの世界にもたらそうとしている。

アセンションという時

新しい時代が始まって、本当のことがどんどん明らかになっていきます。

そのことが、どんなに私達の心を新しくし、本当の心を引き出してくれることでしょう。

それはつまり、宇宙の流れと私達の心は密接に繋がっているということなのです。



また、新しい時代が始まるというと、私達はある特定の時点からが新しい時代かと思われるかもしれません。


でも、ここからがとか、どこからが新しい時代だと、はっきり言えるわけではないのです。

宇宙は常に今という時があり、そこにピントを合わせれば、永遠の今という魔法の時間、本当の時とつながります。

そこには時間という限定された縛りはないのです。


また、真に新しい、ということは源と常に繋がっているという意味なのです。
そしてそれこそが、本当の、ということ。


真に新しい、本当の世界には本当のエネルギーが満ちており、そこに至れば私達も本当の力を発揮していきます。


本当の世界において、私達の心は自由自在。

本当のことを常に私達の中に現していくということは、常に私達は今という時にいて、本当の時を生きるということ、

真にワクワクと、自身の魂から湧き出る喜びの時を生き、

それは、時間の枠を超えた永遠の悠久、今という時を常に生きることなのです。


そして、時間という縛りを超え、私達の心は自由自在。

あらゆる世界の壁を超えて、あらゆる今に存在できるようになるのです。


そんな時代に突入しようという人の心は源と繋がり、常に新しく、光に満ちており、
その新しい心のままに、本当の命を生き永らえていくのです。



自らの源の世界と繋がっている人々が愛と共鳴による調和の中で互いに繋がり合い、共に本当の世界を生きていくことは、


私達の奥にある、大きな世界の繋がりをもたらし、偉大な宇宙のレベルにも進化をもたらしていきます。


それをまた、宇宙全体から見ると、私達は非常に進化の早い時間の枠にいて、


その位置の世界を担当し体験し、同時にそのことを楽しんでもいるのです。



アセンションとはそういう世界なのです。



そんな今という時(時間枠=時代)を私達は生きているのです。


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