新しい世界の物語 〜聖なる豊かさ〜

新しい地球での生き方を綴っていきます

アリマタヤのヨセフの物語 その3

この図書館を訪れるものの多くが肉体を伴わずに訪れていたというのが本当だった。
肉体をもつものと異なるのはその地域のものとは異なる不思議な風貌や衣服、独特な存在感と放っており、その周りに様々な光をまとっていた。

中にはこの地球のものであるかどうかも疑わしい存在もいた。つまり、この銀河の情報が形をもって具現化された、神聖なる図書館には、様々な高次元意識の持ち主たち(中には宇宙や地球内部の出身者もいた)が訪れていた。
彼らは情報を調べることも、重要な情報を秘密裡にここに持ち込むなど、それぞれの理由でやってきていた。

さて、ヨセフが奇妙に思ったのは、その不思議な存在達が、自分たちに向けて軽く頭を下げることだった。

そのうちの何人かはさらに驚いたことに、自分の横にいる若者、イエシュアに向かって「おお!これはこれは!お目にかかれて光栄です。」などと言葉をそえ、極めてうやうやしくお辞儀をするのだった。

ヨセフはその体験を通して、一体この若者は何者なのか、といぶかしく不可思議になると同時に、急速に彼に対し、興味をもった。

これまで、彼は自分のおかれた環境を受け入れ、新しいエッセネを受け入れ、流れのままに自分の置かれた様々な立場を素直に受け入れてきた。
そして、今は修練者(アデプト)修行をし、こうしてこの新しい学び手を導く役目を受けてこなしてきた。
沢山の奇跡ともいえる不可思議なことも体験してきたが、今、彼はその生涯で不可思議な出来事の始まりを予期して言い知れない衝撃を受けていた。

自分より年若く、柔和で大きくて澄んだ瞳の若者。思い起こせば、一目見た時からこの世界にあるものとは別の不思議な空気感を感じていた。

「君って一体何者なんだ?」奥深くまで透き通るような瞳を見つめてヨセフは問いかけた。しかし、彼はその透明な瞳で見つめ、微笑返すだけだった。

導師や先輩の立場にあるものがこのような言葉を発すれば、立場が入れ変わってしまう。そう思ったが彼はそう言葉にせずにはいられなかった。

そして、このあたりから彼らの関係は極めて独特なものとなった。
師弟であり、それでいて対等な仲間、時に親友のような気持ちにさせられることもあった。
思えば、この時空ワープともいえるライトボディの旅がリアルなのはイエシュアがもつ特殊な力のせいだと感じられてくる。
ヨセフは彼と過ごす、この特別な旅は彼が生きてきた中で楽しく深遠な時間だった。

イギリスでは精霊界とのポータルを超えてもう一つのワールド、アヴァロンで精霊たちの飛び交う不思議な美しい世界を旅し、ヒマラヤの高い山の奥ではマスターたちが集う特別な聖地を訪れた。
エジプトではピラミッドの中に入って、古代エジプトの神々(古代の超人たち)と出会った。

また、遠い東の島にも飛んだ。
これからやってくる新しい時代について、そしてこの地が他国の神々との融和が必要なことについて、古くからこの地の守り手である神々との話し合いがもたれた。

それはこの地が遠い未来に訪れるべき人類の平和に関わる場所であり、やがてこの地に住む人々に影響する極めて重要なエネルギーの基盤を築くための布石でもあった。
その東の島は大地として存在しているが他の国よりもやや次元が高く、天界として存在している場所で、高天原と呼ばれていた。
ここは、未来において日本と呼ばれるようになる地である。

イエシュアには様々な地で学ぶことが多くあったが、それ以外に彼自身が唯一の根源神から授かったという伝言やエネルギーがあった。
それを彼は必要な場所や高次元の人々に伝える役目も果たしていたのだ。

マダガスカルやアフリカでは二人は姿を現さないまま、時空をさかのぼり、人類の始まりのストーリーを目にした。

アメリカでは、ある特別な山とその山で湧き出す神聖なエネルギーの泉があり、ヨセフはイエシュアに促されるまま、その水を口にすると、突然周囲の景色が変わり、非常に背の高い人々に囲まれていたのだった。

彼らは超古代に海に沈んだ文明、レムリア人であると言った。

これらの不思議な旅はイエシュアが地球の主要な地へと導かれ、多国の導師から学びやイニシエーションを受けるためのものでもあったが、
それを目のあたりにさせられたヨセフ自身が見たことも聞いたこともなかったことを体感し、事実であるところの新しい知恵として受けとり、いつしかこれらの近くを活かす時まで、熟成するためのヨセフ自身に課せられた修練であった。

中には人間ではない、この星の者たちとも遭遇し、言葉を交わしたりもした。
ヨセフが意識での理解を超え、戸惑っている時には、イエシュアが必ずわかりやすく解説を加えてくれた。

旅を続けるうちにヨセフとイエシュアの関係性は変わり、ヨセフは彼に導かれる者となっていった。
そして、同時に共に魂の旅を続ける勇敢な冒険仲間であり、親愛なる友達でもあった。

それは同志という感覚が一番近いのかもしれない。
イエシュア自身はといえば、様々な旅において学ぶ必要のある知恵の聖者と繋がると、その後は一人で何度も足を運び、この地球の知恵という知恵を必要なだけ、急速に吸収し、学んでいった。

短期間に彼はエッセネのどの長老やアデプトよりも超越した存在になっていき、ユダヤの民の誰よりも、いや、この時代に生きる誰よりも特別に秀でた存在になったとヨセフは確信した。

そんな友であり師である人物を誇らしく思うと共に、自身はそのサポートを担ったことに誇りと運命のようなもこを感じるのだった。

「イエシュアにはユダヤの救世主という噂があるがそれは恐らく本当だろう。そして、自分はその応援をこれからも必要に応じ、していくだろう。」

しかし、ヨセフには自分には彼の道とはまた違う、現実的な生き方や使命があると感じていた。
それが何であるかを考え知ろうとする前に、今、あるところを、ハートの中心から大切に生きること、日々それを丁寧におこなうこと。
それが彼にとって重要なことだと感じた。

だから、イエシュアの超人的な力、多くの民衆を惹きつけるカリスマ性、その神秘的なオーラに強く惹かれ、彼の教えを直接賜る弟子達の位置を羨ましいと感じるところもあったが、
それよりもまず、自分のハートを中心とした生き方をコツコツと重ねることが、自分の本分だと思った。

やがてさらに多くの人々が、イエシュアを救世主、イエス・キリストとして信奉し、敬愛し、教えを乞い、付き従うようになっても、
ヨセフは、彼は淡々とユダヤの名家に生まれた、その役割を果たす現実的な道を進んでいった。

イエシュアとの心の繋がり、奥深い魂のつながりを確信していたので、自分の本分をしっかりと生きることこそ、師であり友である大切な同志の心に報いることだと思っていたからだ。

やがて時が経ち、ユダヤの民の心を揺さぶり、彼を救世主と信じる者はますます増えていった。

エスはその超越した力を世の中に示していった。
ある時は説法ですさんだ者の心を癒し、癒されたものは彼に師事した。
また、ある時は重い病を癒し、時には死に至ったものの息を吹き返す奇跡をおこなった。
彼の話す言葉のパワーに真理を感じ、神の御業と言える様々な奇跡の行いに、ユダヤの民は熱狂していった。

そして、支配のない、平和で豊かで愛に満ちた神の王国へ自分たちを導いてくれるのは、イエスなのだとあちこちで熱弁をふるい、多くの人々のハートに希望の光を灯した。
アメリカ大統領選でトランプに格別な期待をする今の流れと似ていますね。)